レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年3月30日
- 登録日時
- 2022/04/03 15:58
- 更新日時
- 2022/04/07 20:29
- 管理番号
- 県立長野-22-001
- 質問
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未解決
長野県の戸隠(とがくし)に、鳶法師の伝説のようなものはあるか。鳶法師は半分僧侶で半分武士のようなものらしい。
- 回答
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戸隠神社の歴史や長野県長野市戸隠(旧・上水内郡戸隠御村)の歴史、民俗、伝説についての資料を調べたが、「鳶法師」に関する記述は確認できなかった。
「戸隠神社」は、明治維新を機に廃仏毀釈が行われた際に神社となったが、もともとは戸隠山顕光寺(とがくしさん けんこうじ)という密教寺院だった。嘉祥(かしょう)2年(849年)に学問行者(がくもんぎょうじゃ)が開山したとされるため、修験道や仏教の用語辞典等を調べたが、「鳶法師」という言葉は確認できなかった。
『戸隠-総合学術調査報告書-』 信濃毎日新聞戸隠総合学術調査実行委員会編 信濃毎日新聞社 1971 【N212/97】 p.273-301に「戸隠の修験道」がまとめられている。
戸隠山(とがくしやま)はその急峻な山容から古くから山岳信仰の対象であったとされ、日本神話の「天岩戸(あまのいわと)」の伝説がある。仏教が伝来してからは、山岳信仰と天台宗、真言宗などの密教系の仏教が結びつき修験道が成立していった。その修行の地として、山伏など修行僧が多かったため、その中には、魔性のものを調伏(ちょうぶく)することを期待された修験者もあったと思われる。
また、戸隠山の近くには、飯綱山(いいづなやま)があり、修験の地としては戸隠よりも古い。また、ここには飯綱三郎(いづなのさぶろう)※という天狗(てんぐ)の伝説が残っている。
この調査報告書では、戸隠山信仰の基底にあった民俗信仰として、次の二つを紹介している。一つは霊域としての山で、怪異に関するもの。上述した飯綱山を含めたこの地域にも「ダイダラ坊」という巨人伝説があり、そのほかに、天狗や鬼女・紅葉(もみじ)の話などの魔性のものもここに含まれる。二つ目は、農耕とかかわりの深い水神の九頭竜神への信仰があげられている。
※『日本百霊山』 とよだ時著 山と渓谷社 2016 【161.3/トト】 p.88-90に詳しい。
なお、『日本国語大辞典』などの日本の一般的な国語辞典にも、「鳶法師」という言葉は出てこない。「鳶」「法師」「僧侶」などを見るが、「半分僧侶で半分武士」のことは「僧兵」と言われているようだ。
戸隠には、戸隠流という忍術が伝わっていたが、地域の史料として忍者の活動が残っているものはなく、民話、伝説としての忍者も残っていない。忍者という役割の性質のためかもしれないが、地域に伝承としてあるわけではないようだ。末裔の方が所有するものについては、調べることはできなかった。
『忍者の里を旅する』 佐々木勇志ほか編 産業編集センター 2016 【N789/19】p.79-94に、忍者に関する戸隠の観光案内がある。戸隠の忍術は修験道から始まったとされているが、特に出典の記述はない。
『戸隠の忍者』 清水乕三著 銀河書房 1982 【N789/2】のp.20-47に、長野県内の忍者の歴史について書かれている部分がある。ここには、修験者たちが「飯縄(いづな)の法」という術をあみ出したし、これを行うものを「飯縄つかい」「飯縄くだ狐つかい」と呼ぶようになった。開祖は、伊藤兵部太夫忠縄で、天福元年(1233)、修行の後神通力を得た子孫は代々「千日太夫」と名乗り、この術を使った、とある。戸隠流忍者では、寿永(じゅえい)3年(1184)に滅亡した木曽義仲(きそ よしなか)の残党、仁科大助(にしな だいすけ)が伊賀に逃れ、伊賀流忍術に工夫を加えて戸隠流忍術をあみ出したといわれ、別名戸隠大助といわれたようだ。忍者がもっとも活躍した時代は、戦国時代と言われているが、この本に取り上げられた言葉の中に、「鳶法師」は確認できなかった。
調査した資料の中で、『忍者の系譜-漂白流民滅亡の叙事詩-』 村山悠著 創元社 1972 【789/78】に「鳶法師」および「鳶ノ一族」という言葉が出てきた。p.129-156「隠れの里」、p.157-200「散所者」、p.201-214「忍者の系譜」のなかに散見される。この資料は小説風に書かれており、参考文献は後述されているが、学術書のような出典の明示がないため、どこまでが史実で、どこからがフィクションか判別でない。
ここでは、鳶法師と名乗る人物が、その正体を「娑加羅(しゃがら)坊唐比(とうび)」であると言っている。そして、鞍馬行者から発する鞍馬兵法大成の始祖が、シャガラ・トウビであるとも書かれている。また、時期には触れていないが、羽黒山を出て、長野県の真田(さなだ)に移り、次いで戸隠山に入ったとし、その後、鞍馬に移ったことになっている。
戦国時代、加当(加藤とも)段蔵(だんぞう)が取り上げられており、p.183に段蔵の祖先と鳶法師のかかわりについて書かれている。そのため、段蔵の「飛び加藤」という二つ名の「飛び」は、もともとは「鳶」で名乗ったものが、その跳躍力と相まって「飛び」となったのではないかとしている。また、詳しい事は書かれていないが、p.202に天正元年(1573年)武田信玄が陣中において急死したのは、鳶ノ一族による暗殺、と書いている。信玄を暗殺し、鳶ノ一族は信州を去ったとある。章末で、鳶ノ一族の大半は祖先の地である大和地方に還っていた、書かれている。
加当段蔵の話は、『戦国忍者列伝』 清水昇著 河出書房新社 2008 【789.8/シノ】p.118-119にも書かれている。また、「甲陽軍鑑末書結要本」の巻9の13「まいす者嫌ふ三ケ條の事」に書かれていて、『甲斐叢書第9巻』(54コマ目)に所収されている。【最終確認2022.4.4】(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)
どちらの話も、段蔵が上杉謙信に仕えようとして抹殺されかかり、武田信玄に仕えたが結局抹殺された、という話になっている。また、江戸時代に浅井了意(あさい りょうい)によって書かれた「伽婢子(おとぎぼうこ)」という怪異小説集に、「飛加藤」とうい話が収録されている。上記を核にして、中国の物語もモチーフにしたのではないかといわれている。
なお、鳶法師や鳶ノ一族が忍者であったならば、普通の行者に交じり、素性を隠しつつ修行をしたとも考えられるため、手掛かりとなる史料は少ないと考えられる。
- 回答プロセス
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1 『日本国語大辞典 第9巻』第2版 小学館 2001【813.1/シヨ/9】p.1305-1306に「鳶」の項があり、鳥類、道具としての鳶口の説明、色の名前のほか、「とび(鳶)の者」の略。や盗人仲間の隠語、などの7つの意味がある。このうち、「とび(鳶)の者」については、p.1306に独立した項があり、
鳶口(とびぐち)をもつところから
・建築や土木工事の人夫に出る仕事師。鳶人足。鳶職。鳶口。
・江戸時代、町火消しに属した人足。火消人足の別称。
などがあった。
2 『日本国語大辞典 第11巻』 第2版 小学館 2001【813.1/シヨ/11】p.1404-1405に「法師」の項があり、いわゆる僧侶のほかに「ほうしむしゃ(法師武者)」の略などの6つの意味をあげている。このうち、「ほうしむしゃ(法師武者)」については、p.1410に独立した項があり、
・僧形(そうぎょう)の武士。僧兵。
・山王祭や王子権現の祭などに、武装し、僧兵の恰好をして行事に加わる法師。
とあった。しかし、鳶法師につながりそうな記述はなかった。
3 『日本国語大辞典 第8巻』 第2版 小学館 2001【813.1/シヨ/8】p.319に「僧兵」の項に、「僧侶でありながら武芸を修錬し、戦闘に従事した寺院の私兵。」とある。平安中期から戦国時代にかけて見られる。興福寺・東大寺・延暦寺・園城寺など、中世に入っては高野山・根来寺・石山寺などの僧兵が著名、とあったが、鳶法師につながりそうな記述はなかった。
4 修験道や仏教の用語辞典等を調べたが、「鳶法師」という言葉は確認できなかった。
5 『戸隠村誌』 戸隠村誌刊行会編・刊 1962 【N212/21】など、郷土分類N212(長野地域の歴史)の書棚で、戸隠地域の誌史類を調べるが、戸隠神社にかかわる修験の歴史、僧の列伝、伝承民話などの記述に、鳶法師にかかわるものは確認できなかった。『戸隠-総合学術調査報告書-』に戸隠神社の経緯や修験者について詳しく書かれている。
6 郷土分類N171(長野地域の神社)の書棚で、戸隠神社について調べる。明治の廃仏毀釈で神社となったが、それまでは、密教寺院だったことがわかる。しかし、修験者が多くいたことは書かれているが、鳶法師という言葉は出てこない。
7 戸隠周辺の民話や伝説を『戸隠村誌』『戸隠-総合学術調査報告書-』『長野県史 民俗編 第4巻(3) 北信地方』長野県編 長野県史刊行会 1986 【N209/11-3/4-3】のほか、郷土分類N388(長野県の民話)の書棚で調べるが、「鳶法師」が出てくる話は確認できなかった。
8 戸隠には、戸隠流という忍術が伝わっていたので、郷土分類N788(長野県の武術)の書棚で調べる。『戸隠の忍者』には、歴史的な記述があったが、ほかの戸隠流忍者に関する資料には、忍術に関する記述はあるが、その歴史について詳しくは触れられていない。鳶法師についても書かれてはいない。
9 web上で「鳶法師」を検索すると、個人サイトで「鳶ノ一族」とともに、「加藤段蔵」という忍者がヒットした。しかし、これらの出典にまでは触れていなかったので、NDC分類788(武術)の棚で、忍者、忍術に関する資料を探す。『戦国忍者列伝』 に加藤段蔵を発見。出典の記載があったので、「伽婢子(おとぎぼうこ)」(『新日本古典文学大系75』佐竹昭広[ほか]編 岩波書店 2001 【918/シン/75】)を確認。この物語のモチーフの一つに「甲陽軍鑑末書結要本」をあげていたため、これも確認する。しかし、「鳶法師」は確認できない。
10 9で調査した資料のうち、『忍者の系譜-漂白流民滅亡の叙事詩-』 にのみ、「鳶法師」「鳶ノ一族」の記載が見られた。ただし、この資料は、学術論文のような書き方はされていないため、個々の記述の出典が明示されていない。記載個所を紹介する。
<調査資料>
・『仏教大辞典』全10巻 望月信亨編 世界聖典刊行協会 1974 【180.33/モノ】
・『修験道辞典』宮家準編 東京堂出版 1986 【188.59/ミヒ】
・『新編信濃史料叢書 第4巻』 信濃史料刊行会編・刊 1971 【N208/43/4】
「戸隠山顕光寺流記」「戸隠山神領記」ともに、鳶法師の記載はない。
・『戸隠信仰の歴史』 牛山佳幸[ほか]著 戸隠神社 1997【N171/37】
戸隠信仰の歴史、修験の成立など学術的にまとめられている資料で、山伏や修験僧についての記述
はあるが、「鳶法師」という言葉や特殊な技術を持つ「法師」についての記述はない。
・『戸隠信仰の諸相』 戸隠神社 2015 【N171/63】
・『戸隠信仰を紡ぐ』 二澤久昭[ほか]著 戸隠神社2021 【N171/86】
・『戸隠の鬼たち』 国分義司著 信濃毎日新聞社 2003 【N388/235】
・『紅葉の生涯 -鬼女紅葉伝説-』 山口昇著・刊 2015 【N388/319】
・『とがくし夜話』 相原文哉著 松崎書店 1979 【N388/88】
・『信州の民話伝説集成 北信編』 高橋忠治編著 一草舎 2005 【N388/250】
・『よくわかる山岳信仰』 瓜生中著 KADOKAWA 2020 【163.1/ウナ】
・『日本人と山の宗教』 菊地大樹著 講談社 2020(講談社現代新書2577)【163.1/キヒ】
・『東日本の山岳信仰と講集団』 西海賢二著 岩 田書院 2011 【163.1/ニケ】
・『絵図と映像にみる山岳信仰』 岩鼻通明著 海青社 2019 【163.1/イミ】
・『山の神さま・仏さま』 太田昭彦著 山と渓谷社 2016 【163.1/オア】
・『忍者の掟』 川上仁一著 KADOKAWA 2016 【789.8/カジ】
・『忍者の誕生』 吉丸雄哉, 山田雄司編 勉誠出版 2017 【789.8/ヨカ】
・『忍者の歴史』 山田雄司著 KADOKAWA 2016 【789.8/ヤユ】
・『忍びの者 その正体』 筒井功著 河出書房新社 2021 【789.8/ツイ】
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 10版)
- 武術 (789 10版)
- 各宗 (188 10版)
- 参考資料
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杜山悠/著 , 杜山 悠 , 杜山 悠. 忍者の系譜 : 漂泊流民滅亡の叙事詩. 1972-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059127383-00 (【789/78】)
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杜山悠/著 , 杜山 悠 , 杜山 悠. 忍者の系譜 : 漂泊流民滅亡の叙事詩. 1972-00.
- キーワード
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- 鳶法師
- 鳶ノ一族
- 戸隠(長野県長野市)
- 戸隠神社
- 戸隠山顕光寺
- 修験道
- 忍者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314676