レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年2月1日
- 登録日時
- 2012/02/18 16:15
- 更新日時
- 2012/08/30 13:44
- 管理番号
- 97-C-5
- 質問
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解決
椿祭りについて知りたい。
- 回答
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・【資料1】を見ると、「伊予豆比古命神社」の項に、“椿まつりは、旧暦一月八日を中心に三日間行われる。この祭りは古い時代に豊作と幸運を願ってくり返されたもので、当日、神迎えを行う合わせ火を行い、俗にいう門外から神輿が出るお忍びの神事があり、縁起でお守り代わりに金を貸す貸銭の特殊神事も行われる。参拝者は五○~六○万人に及ぶ。”とある。
・「椿さん」「椿まつり」の名称については2つの説がある。
①【資料3】によると、“太古は海の津のほとり「津脇」にあったのが椿の名の起こりだと伝えられ、境内の森には藪椿がたくさんある。”と書かれている。
②【資料4】では、“椿の花の咲き始める寒風の季節に祭礼が営まれ、その椿の下で原始的な物々交換が行われ、付近一帯に多かった藪の中に交った藪椿の印象が、神社の呼び名となり、簡潔で親しみ易い「椿祭り」と定着したものと思われ・・・”と書かれている。
【資料5】では二つを併記して紹介し、②の説に妥当性があるとしている。
・祭日については、【資料4】を見ると、往時は旧五月八日の一日のみの本祭であったが、昭和の初め頃から、宵宮と本祭の二日間となり、昭和十七年頃に今の三日間になったとある。
・神事については、【資料6】に書かれている。
“特殊神事に「おしのび渡御」がある。「立春ニ近キ上弦ノ頃、月光リ潮満ツルノ刻限」に、氏子の青年・少年に供奉された神輿が本殿を出御し、表参道から大鳥居を抜け、約十町ある末社、金刀比羅社の御旅所に向かい、同じ道を還行する。上古、大神が翁神に迎えられた故事にならったものとされ、神輿が神門を出るまでは言葉を発することを禁じられている。『旧蹟俗談』は五月八日の神事として、夜を待って松明をかざしながら隣村土居村の「薬師堂」へ神幸したことを伝え、「その粧ひ、神門まで何の備えもなく、暗中潜かに神輿をふり、神門より参衆の人々手々に火を燈し、神輿を囲纔し奉る。是を火合わせ火といふ」と記している”
“また明治の頃までは隣の久米村の日尾山の頂上と当社とで同時に火をともして「合わせ火」をする行事があった。”
・また、貸銭の特殊神事については、【資料3】に、“椿さんにはいま一つ、珍しい慣習がある。「お賽銭借り」である。お賽銭を社頭から借りて帰って、翌年お返しするのである。金額はわずか十円か二十円であるけれども、それを金もうけの「金種」として商売が繁盛したら、翌年は利子を付けてお返しするという奇風である。”と紹介されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】 『愛媛県百科大事典 上(あ~し)』 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 愛媛新聞社 1985年<請求記号:R /K290 /63 /1>
- 【資料2】 『愛媛県百科大事典 下(す~わ)』 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 愛媛新聞社 1985年 <請求記号:R /K290 /63 /2>
- 【資料3】 『生きている民俗探訪 愛媛』 黒河健一/著 第一法規 1977年 <請求記号:K382 /6>
- 【資料4】 『和泉郷土誌』 和泉郷土誌編集委員会/編集 和泉土地改良区 1987年 <請求記号:K231 /36>
- 【資料5】 『愛媛県温泉郡石井村史』 石井村史追録編集委員会/編 石井公民館 1982年 <請求記号:K231 /18 /カイ>
- 【資料6】 『日本の神々 神社と聖地2』 谷川健一/編 白水社 2000年<請求記号:K175.9 /タケ /2000>
- キーワード
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- 伊予豆比古命神社 いよずひこのみことじんじゃ
- 椿さん つばきさん
- 椿祭り つばきまつり
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101930