レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月01日
- 登録日時
- 2017/02/02 13:55
- 更新日時
- 2017/03/15 11:59
- 管理番号
- 埼熊-2016-098
- 質問
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解決
真言宗・本山高野山の僧侶「木喰オウゴウ」について知りたい。
- 回答
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該当の人物の名前は「木食応其(もくじきおうご)」であると推測される。木食応其に関する記述のあった下記の資料を紹介した。
1 木食応其について
『国史大辞典 2 う-お』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1980)
p451「応其」の項あり。
「一五三六-一六〇八 安土桃山時代の高野山の僧。字は深覚、興山上人という。天文五年(一五七三)十一月五日、三十八歳にして、高野山に遁世し、宝性院政遍から受戒したと伝える。」等の記述あり。また参考文献あり。
『大日本史料 第12編之5 後陽成天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学出版会 1969)
p836-866「前高野山興山寺應其木食寂ス、」と始まり、木食応其について記述のある史料の該当部分が記載されている。
『高野山と真言密教の研究 山岳宗教史研究叢書』(五来重編 名著出版 1977)
p243-273「木食応其考 和多昭夫」あり。
木食応其の生涯、および註についての出典史料の一覧あり。
『日本文化史 別録第3巻』(辻善之助著 春秋社 1970)
p131-157「二三 木食上人」があり、木食上人について以下の項でとりあげている。
p148-149「六 高野山中興の祖木食上人」
p149-150「七 木食上人の経歴」
p150-151「八 土木工事における木食上人の業績」
p151-156「九 木食上人の大慈悲の請願」
『事典日本の名僧』(今泉淑夫編 吉川弘文館 2005)
p347-349「応其」
「安土桃山時代の高野山の僧。」「応其は、高野山の客僧分であり、(中略)しかし、同年四月、高野山を代表する使節として粉河の秀吉の陣に行き、高野山をその進攻より救った。」などの記述あり。
2 木食応其が記した「無言抄」について
『日本古典全集 第2期〔15〕 無言抄,匠材集』(正宗敦夫編 現代思潮社 1978)
解題等はなし。
- 回答プロセス
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自館目録を〈モクジキオウゴ〉で検索する。
『高野山と真言密教の研究 山岳宗教史研究叢書』(回答資料)
上記資料より、
『日本文化史 別録第3巻』(回答資料)
参考図書を調査する。
『事典 日本の名僧』(回答資料)
『総合仏教大辞典 上 あ~し』(総合仏教大辞典編集委員会編集 法蔵館 1987)
『佛教大辞彙 第1巻』(龍谷大学編 冨山房 1978)
p435「オウゴ 応其」の項あり。肖像画あり。
『国史大辞典 13 ま-も』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1992)
p813「木食上人」→「応其(おうご)」とあり。
『国史大辞典 2 う-お』(回答資料)
p451「応其」の項あり。
上記資料の参考文献を確認する。
『日本仏教史 第7巻 近世篇之一』(辻善之助著 岩波書店 1952)
p300「秀吉木食を遣し根來寺に交渉せしむ」
p303「秀吉の高野處分と木食應其」
『大日本史料 第12編之5 後陽成天皇』(回答資料)
木食応其が記した「無言抄」について
『日本古典全集 第2期〔15〕 無言抄,匠材集』(回答資料)
無言抄の全文のみで、解題はなし。木食応其についての記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏教 (180 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典 2 う-お』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1980) , ISBN 4-642-00502-1
- 『大日本史料 第12編之5 後陽成天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学出版会 1969)
- 『高野山と真言密教の研究 山岳宗教史研究叢書』(五来重編 名著出版 1977)
- 『日本文化史 別録第3巻』(辻善之助著 春秋社 1970)
- 『事典日本の名僧』(今泉淑夫編 吉川弘文館 2005) , ISBN 4-642-07860-6
- キーワード
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- 木食応其(モクジキオウゴ)
- 僧侶
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000208602