レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 堺市立中央図書館 (2210017) | 管理番号 (Control number) | 堺-2020-076 | |||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2019年11月04日 | 登録日時 (Registration date) | 2020年07月18日 16時38分 | 更新日時 (Last update) | 2020年08月28日 13時13分 | |||||||
質問 (Question) | 昔、深井にあった香林寺(こうりんじ)について知りたい。何か資料に出てくることがあれば、なんでも情報として欲しい。 また元禄四年の「泉州大鳥郡寺社改帳」という資料に載っていると聞いたが、見ることはできないか。 | |||||||||||
回答 (Answer) | 『堺市史』続編第1巻にp.1427に、明治の神仏分離令により廃寺となった宮寺の一つとして、「野々宮神社(深井安村)の香林寺」があげられている以外、記述はない。同書のp.1430に「大鳥郡の廃寺を察する一助として、天保14(1843)年「大鳥郡寺社調」(『和泉志』11~14号)に記載で・・」という記述がある。 『大阪府全志』巻之五、p.414の野々宮神社の項目に、同神社が「もと字中村にありしが、永正年間両細川氏の兵火に罹りて、安村香林寺の境内なる現在の所に移転せりと。爾来香林寺の僧久しく奉仕し来りしも、明治維新後の神仏分離に依りて寺は廃絶し」との記述がある。 『地名あれこれ』p.86に「行基は、四十九の寺院を建てたと伝えられていますが、その中に、深井尼院という寺があります。この寺が、観音尼院香林寺ではないかといわれています。それが野々宮神社の前身で、明治になるまでは神仏混合で香林寺という神宮寺の名で呼ばれていました。」との記述がある。『行基辞典』p.236にも同様の記述があるが、「香琳寺」の表記がされ「かりんじ」のルビが振られている。 「元禄四年七月二十九日和泉匡大鳥郡泉郡寺社改帳(抄)」という史料は、『堺市史』続編第4巻p.299から「北村禎三文書」の中に掲載されている。しかし、抄録となっており「香林寺」についての掲載はない。 (北図書館) | |||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 香林寺のあった野々宮神社は、現在の堺市中区深井清水町にある。一方、近隣の同区八田寺町(はんだいじちょう)には高野山真言宗の「華林寺」が現存する(『市町村区別全国寺院大鑑』下巻、p.1334)。『大阪府全志』巻之五p.403-5によると、元は「蜂田寺」で行基の母の出生地であるとされている。華林寺は『堺市史』続編第4巻p.298、p.843に収録の史料では「花林寺」の表記となっているが、現在は「けいりんじ」という読み方になっているようである。 | |||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 地名 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||
登録番号 (Registration number) | 1000284779 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |