レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月17日
- 登録日時
- 2016/11/03 00:30
- 更新日時
- 2017/03/27 12:50
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-95
- 質問
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解決
京都市右京区・清凉寺境内の薬師寺にある薬師如来像について由来などを知りたい。また,写真もあれば見たい。
- 回答
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清凉寺境内の薬師寺は,山号を龍(竜)蟠山(りゅうばんざん)といい,清凉寺本堂の西側に位置します。明治時代までは真言宗大覚寺派に属していましたが,現在は浄土宗に属しています。本堂は,毎年地蔵盆(8月24日)に一般公開されています。
薬師如来像は,薬師寺の本尊です。弘仁9年(818)に疫病が流行した際,嵯峨天皇の命で弘法大師(空海)が彫刻した像といわれ,秘仏とされています。明治時代までは大覚寺の寺務所が置かれており,本尊の開扉も大覚寺によって行われていました。
名称については,「薬師如来像」の他に4つの表記が見られました。
【資料1】・・・「薬師如来坐像」
【資料2】・・・「薬師瑠璃光如来坐像」(やくしるりこうにょらいざぞう)
【資料3】【資料4】【資料5】【ウェブサイト1】・・・「心経秘鍵薬師如来像」「心経秘鍵(の)薬師」
大きさについては,
【資料1】・・・21cm
像の写真については,
【資料3】・・・p75に白黒写真あり。
【ウェブサイト1】・・・京都・嵯峨 薬師寺ホームページにカラー写真あり。
- 回答プロセス
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●キーワードを“薬師寺”にして検索すると,同一名称の別寺院がでてくることから,“清凉寺”で当館所蔵資料を検索し,薬師寺の記述を確認する。
仏像についての記述はなし。
●清凉寺の薬師寺の記述には,複数の名称があったことから,キーワードを“薬師堂”“嵯峨薬師寺”で検索する。
該当資料なし。
●清凉寺がある京都市右京区の地域が“嵯峨”や“洛西”と呼ばれることから,関係資料を確認する。
【資料1,2】安置・由来の記述はあるが,写真の掲載なし。
●『仏像レファレンス事典』(日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ 2009)を参照する。
京都府の薬師寺の項にある資料を確認するが,清凉寺の薬師寺ではない。
●【資料1,2】に秘仏や弘法大師(空海)作とあることから,秘仏や空海関連の資料を確認する。
秘仏関連では,【資料3】p75に白黒写真の掲載あり。
空海関連では,見当たらず。
●薬師寺が地蔵盆(行事)や小野篁(おののたかむら)の冥土の出口に関係することから,関係資料を確認する。
薬師如来像についての記述や写真の掲載なし。
●『新修京都叢書』,『新撰京都叢書』に記述がないか確認する。
【資料4】所収「洛西嵯峨名所案内記」の五山清凉寺の薬師堂の項に“心経秘鍵の薬師如来弘法大師作御寺務宮御封仏なり。”とあり。
【資料5】所収「京華要誌」の清凉寺の薬師寺の項に“弘法大師に勅して此本尊を造らしめ,心経秘鍵の法を修し,之を禳はせたまふ。因て心経秘鍵薬師と称すといふ。”とあり。
●Googleで,“清凉寺”と“薬師寺”をキーワードに検索する。
【ウェブサイト1】・・・京都・嵯峨 薬師寺のホームページの「御本尊と略縁起」に由来とカラー写真の掲載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏会 (186 9版)
- 日本 (291 9版)
- 仏像 (718 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『嵯峨誌 平成版』(嵯峨教育振興会/編集 嵯峨教育振興会 1998)p91~92
- 【資料2】『昭和京都名所図会 4 洛西』(竹村 俊則/著 駸々堂出版 1983)p313
- 【資料3】『仏像の本』(学研 2007)p74~75
- 【資料4】『新撰京都叢書 第1巻』(新撰京都叢書刊行会/編 臨川書店 1985)p315~316“五山清凉寺”
- 【資料5】『新撰京都叢書 第3巻』(新撰京都叢書刊行会/編著 臨川書店 1987)p340~342“清凉寺”
- 【ウェブサイト1】京都・嵯峨 薬師寺ホームページ(http://yotsuba.saiin.net/~saga/yakusiji/)2016年10月13日最終確認
- キーワード
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- 清凉寺
- 薬師寺
- 嵯峨薬師寺
- 薬師如来像
- 薬師如来坐像
- 薬師瑠璃光如来坐像
- 心経秘鍵薬師如来像
- 心経秘鍵薬師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000199119