レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月17日
- 登録日時
- 2011/11/01 11:55
- 更新日時
- 2011/11/03 17:34
- 管理番号
- 9000007586
- 質問
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解決
山梨県南巨摩郡富士川町の国道52号線小室山入口の曲がり角にある「妙法神堂」の由来について知りたい。
- 回答
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「妙法神堂」は出水予防を祈念して、文政2(1819)年2月に、妙見大菩薩と宗祖大士(日蓮上人)の2躰を本尊として建てられた。現在のお堂は、弘化3(1846)年の鰐口が吊してあり、昭和57(1982)年に修復された。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『鰍沢町誌』下巻(鰍沢町誌編さん委員会編 鰍沢町 1996年)→第10編宗教第1章鰍沢町の神社の項p708-709に「妙法神さん(上北町)」の項があり、由緒等の記述がある。概要は次の通り(要約、現代語訳は当館による)。
・「南巨摩郡鰍沢村」の「散在社堂許可済控」に「鰍沢村字八幡 日蓮宗経王寺属 妙法堂」として、次のような記述がある。
1.本尊:妙見大菩薩、宗祖大士(日蓮上人)の2躰。
2.創立:文政2(1819)年2月に信徒の拠金による。
3.由緒:古くからこの地には出水予防の妙見と唱えてわずか23尺(約90センチ)四方ほどのお堂があり、人々は出水予防の祈念をしていた。この霊験があるところに、同郡身延山の内の高座石というところに安置されていた妙見と日蓮上人の2躰を、信徒がこの地に勧請し、水防妙見と唱えてこれを祈ったのが文政元年(1918)年である。その先のことはわからないが、だいたいこのとおりである。
4.信徒:260人
5.堂:二間半×二間半(約4.5メートル)
・現在の妙法神堂は、従来の場所から道路向かい側に移転したもので、お堂の大きさも異なる。間口二間半(約4.5メートル)、奥行三間半(約6.3メートル)。正面に弘化3(1846)年奉納の鰐口が吊してある。現在のお堂は昭和57(1982)年に修復された。敷地は200坪(約660平方メートル)ほどで、境内には道祖神石祠(明治14(1881)年)、馬頭観音碑(大正9(1920)年)、町出身の俳人・秋山秋紅蓼(しゅうこうりょう)の句碑「山の桜が谷へちりいまも古里である」などがある。
・『かじかざわ、むかしむかし』(当館未所蔵・所蔵未確認)には、妙法神堂の由来は、昔、火事が多くて困ったので、火伏せの天狗として妙見大菩薩を高台に祀ったのが始まりとあり、出水予防とは異なる由緒が記されている。
2.次の神社誌には「妙法神堂(妙法神さん)」の掲載はなかった。
・『山梨県神社誌』(山梨県神道青年会編・発行 1985年)
・『甲斐国社記・寺記(山梨県史料)』第1巻(山梨県立図書館編・発行 1967年)
・『全国神社名鑑』上巻(全国神社名鑑刊行会史学センター編纂・発行 1977年)
3.郷土資料のK294の書架で富士川町の歴史や観光ガイドなどを調査すると、次のものに関連の記述があった。
・『北斎と舟運ゆかりの鰍沢・蔵づくりのまち(かいじあむ発山梨はっけんガイド)』(つなぐ「まちミュー友の会」編 山梨県立博物館 2007年)→p31「妙法神堂は、文政二(一八一九)年に、出水予防を祈念して、妙見大菩薩を本尊としたと伝わります。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『鰍沢町誌』下巻(鰍沢町誌編さん委員会編 鰍沢町 1996年) (p708-709)
- 『北斎と舟運ゆかりの鰍沢・蔵づくりのまち(かいじあむ発山梨はっけんガイド)』(つなぐ「まちミュー友の会」編 山梨県立博物館 2007年) (p31)
- キーワード
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- 妙法神堂
- 妙法神さん
- 神社
- 妙見大菩薩
- 日蓮宗
- 富士川町
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(思想・宗教)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096131