レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1998/01/16
- 登録日時
- 2011/02/26 02:00
- 更新日時
- 2018/03/07 17:49
- 管理番号
- 長野市立長野-97-020
- 質問
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解決
長野市城山の蔵春閣向いにある彦神別神社の掛軸に書いてある、以下の漢文の読み方と意味を知りたい。
「吾為利生出彼 衡山入此日域 降状守屋之邪見 終顕佛法之威徳」
- 回答
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「上宮太子御記」の「太子御廟ノ註文出現ノ事」からのようです。
これに依った「皇太子聖徳奉讃」六十二、六十三首の書き下し文、訳がありましたのでご紹介しました。
<書き下し文>
仏法興隆せしめつつ 有情利益のためにとて
かの衡山よりいでて この日域にいりたまふ
守屋が邪見を降伏して 仏法の威徳をあらわせり
いまに教法ひろまりて 安養の往生さかりなり
<訳>
中国衡山での南岳大師恵思の一生を終えて、日本に生まれ変わる、とも記されてあった。物部守屋が仏教を亡ぼそうとした邪見を、聖徳太子は蘇我馬子とともに攻め滅ぼされ、仏教の大いなる威徳を明らかにされた。
- 回答プロセス
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『聖徳太子全集 第2巻』p31 「皇太子聖徳奉讃(七十五首和讃)」の六二、六三部分に、該当すると思われる漢文の書き下し文が掲載されている。
『聖徳太子全集 第4巻』p147 「上宮太子御記」にも同じ漢文の掲載あり。
『親鸞全集 第4巻』(春秋社)p592 「皇太子聖徳奉讃」の書き下し文(六十二、六十三の該当部分)あり。
p45には補注があり、
「また五十九→六十三は『上宮太子御記』に載せる「太子御廟ノ註文出現ノ事」に「御冷泉院第十年也。天喜二年(一〇五四)歳次甲午、僧忠禅為起宝塔、削手于地而間地中掘出一銅凾。其蓋銘曰、今年歳次辛巳(天喜二年)、河内国石川郡磯長里有一勝地、丈足称美、故点墓所已了。吾入滅以後及于四百参拾余歳、此記文出現哉。……云々、内銘曰、吾為利生(出脱カ)衡山入此日域、降状守屋之邪見、終顕佛法之威徳、」(聖徳太子全集三・一四七、定本親鸞全集五・三九三)とある文に依り、(後略)」とある。
県立長野図書館にレファレンス照会。
以下同図書館より回答。
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『上宮太子御記』の訳文を調査しましたが、当館資料には現代語訳したものがなく、法蔵館版の『親鸞全集 4』より回答します。
「皇太子聖徳奉讃」の62の後半と63の前半の部分に該当します。
「(前略)…中国衡山での南岳大師恵思の一生を終えて、日本に生まれ変わる、とも記されてあった。物部守屋が仏教を亡ぼそうとした邪見を、聖徳太子は蘇我馬子とともに攻め滅ぼされ、仏教の大いなる威徳を明らかにされた。…(後略)」
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- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188)
- 参考資料
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- 『聖徳太子全集 第2巻』聖徳太子奉讃会/監修 臨川書店 1988 <288シ>
- 『聖徳太子全集 第4巻』聖徳太子奉讃会/監修 臨川書店 1988 <288シ>
- 『親鸞全集 第4巻』親鸞/著〕,石田 瑞麿/訳 春秋社 1986.07 <188シ>
- 『親鸞全集 4』親鸞/著 法蔵館 1983.06 (県立長野図書館)
- キーワード
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- 聖徳太子
- 親鸞
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000080864