レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年03月11日
- 登録日時
- 2011/03/16 14:36
- 更新日時
- 2013/10/09 14:30
- 管理番号
- 23-36
- 質問
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解決
大山祇神社の「おおはふり」について聞きたい。社務所に問い合わせたところ宮司さんのことらしい。
- 回答
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〔大祝職 おおはふりしょく〕
大祝は大山祇神社第一の祭祀職で『三島宮御鎮座本縁』によると「文武天皇の慶雲4年(707)に玉澄の奏するところにより二男の高橋安元を三嶋大山積社務の擬神躰大祝に任ずべしとの勅許があり、元明天皇の和銅元年(708)3月3日に安元を大祝に補任した」とある。越智玉澄の嫡子益男が河野の家督を継ぎ、二男安元をして三嶋の社職を継がせ、この時より国務祀祭を分け越智安元が大祝の始祖となった。以降歴代の大祝は「大祝職は、神壇を居所に構え、半大明神と号し、弓矢を携えず、国境を出ず、連日御神事に専念しご祈祷をするものなり」とあり、もっぱら祭祀の奉仕に勤め、神社の経営に勤めたが、瀬戸内水軍の行動にも少なからぬ影響を与えた。享保21年(1736年)の記録によると社家社僧は大祝以下・擬神主・権神主・久保太夫・・・・(略)・・・の33人であった。なお、時代によって職名順位に移動があるが、大祝の位置は不動であった。
- 回答プロセス
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【資料1】p229 項「大山祇神社 おおやまづみじんじゃ」より抜粋
- 事前調査事項
- NDC
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- 神道 (170 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県百科大事典 上 』(愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集、愛媛新聞社、1985年)
- キーワード
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- 大祝職(おおはふり)
- 大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000081932