レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月23日
- 登録日時
- 2017/03/16 10:06
- 更新日時
- 2017/03/22 17:36
- 管理番号
- 福井県図20160723-3
- 質問
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解決
豊原寺について
1 調査報告書などで本堂・坊名などを記した詳しい図面が載っていないか。
2 丸岡城築城時に豊原寺から移築した坊の名称を知りたい。
- 回答
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1 詳しい図面は確認できない。
2 西ノ宮城。
- 回答プロセス
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1 調査報告書は下記の6冊。発掘調査場所の詳しい平面図はあるが、豊原寺全体のものなし。
・『豊原寺跡I華蔵院跡第1次発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1980
*p2写真1「豊原寺域航空写真」に華蔵院や旧講堂、豊原白山社などの名称が書き込まれている。
p4に19世紀初頭成立の地誌から「豊原寺図」を転載、一部建物の名称が記載されている。
・『豊原寺跡II華蔵院跡第2次発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1981
・『豊原寺跡III(伝)講堂跡 第1次発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1982
・『豊原寺跡IV豊原第21字 下屋敷地係 第1次発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1983
・『豊原寺跡V(推定)僧坊跡発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1984
・『豊原寺跡VI山城山地係中世墓地跡発掘調査概報』丸岡町教育委員会、1985
2 『重要文化財丸岡城天守修理工事報告書』重要文化財丸岡城天守修理委員会、1955のp2「沿革概要」に「天正三年…織田信長が北陸地方の一向一揆の平定を期して、豊原寺(丸岡の東方約一里)を攻略したとき、柴田勝家の甥、伊賀守柴田勝豊をこの地に留めた。勝豊はまず西方院の跡に西ノ宮城を築き、天正四年これを移して丸岡に築城したものと伝えられる」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 北陸地方 (214)
- 参考資料
- キーワード
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- 豊原寺
- 丸岡城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212013