レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/12
- 登録日時
- 2020/04/01 00:30
- 更新日時
- 2020/04/01 00:30
- 管理番号
- 6001043275
- 質問
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解決
江戸時代後期の大阪に「篠崎概」という儒学者がいたらしい。生没年や、概要、著作などを知りたい。
- 回答
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まず、篠崎「概」の名前についてですが、人名辞典等では、異体字の「槩」(「既」の下に「木」)の字で記載がありました。
また「篠崎槩」は「竹陰」と号したことが分かりましたので、「篠崎槩」「篠崎竹陰」について記載があった資料をお知らせします。
・『日本難字異体字大字典 文字編』(井上辰雄/監修 遊子館 2012.1)
p165に「概」の項があり、異体字として「槩」の記載があります。
・『国書人名辞典 第2巻 き-す』(市古貞次/[ほか]編 岩波書店 1995.5)
p435に「篠崎竹陰 しのざきちくいん 漢学者」の項があり、以下の記述があります。
「[生没]生年未詳、安政5年(1858)8月28日没。五十余歳。墓、大阪天満東寺町天徳寺。[名号]初め加藤氏。名、槩。字、公槩。通称、長平。号、竹陰・訥堂・武江。[家系]篠崎小竹の養嗣子。[経歴]江戸の人。初め古賀侗庵に学び、のち大阪に出て篠崎小竹に師事。学才を認められ、小竹の次女を娶って家学を継いだ。」
著作としては、以下が挙げられています。
「篠崎小竹篠崎竹陰新宮瓶城書簡」「篠崎竹陰詩稿」「小竹斎和文章」「小竹先生行状記」「竹陰文稿」「訥堂文稿」
・『大阪名家著述目録』(大阪府立図書館 1914)
p.81-82に「篠崎竹陰」の項があります。著作として以下が挙げられています。
「綱鑑易知録(校)」「竹陰文稿」「訥堂文稿」「明鑑易知録(校)」
・『大阪人物誌 正編』(石田誠太郎/著 臨川書店 1974)
石田文庫 昭和2年刊の復刻です。p788-789に「篠崎竹陰」の項があります。
・『漢学者伝記及著述集覧』(小川貫道著 名著刊行会 1970)
監修者:小柳司気太、関書院、昭和10年刊の複製です。
p249に「篠崎竹陰」の項があります。
・『大阪墓碑人物事典』(近松誉文/著 東方出版 1995.11)
「天徳寺」(大阪市北区与力町)の項に、「篠崎竹陰」についての記述があります(p168-169)
・『大阪人物辞典』(三善貞司/編 清文堂出版 2000.11)
p539-540に「篠崎竹陰」の項があります。
〔事例作成日:2020年3月12日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本思想 (121 10版)
- 参考資料
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- 日本難字異体字大字典 文字編 井上/辰雄∥監修 遊子館 2012.1
- 国書人名辞典 第2巻 市古/貞次∥[ほか]編 岩波書店 1995.5
- 大阪名家著述目録 大阪府立図書館 1914
- 大阪人物誌 正編 石田/誠太郎∥著 臨川書店 1974
- 漢学者伝記及著述集覧 小川貫道著 名著刊行会 1970
- 大阪墓碑人物事典 近松/誉文∥著 東方出版 1995.11
- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 2000.11
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279925