レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年07月24日
- 登録日時
- 2013/07/24 11:48
- 更新日時
- 2013/07/24 23:02
- 管理番号
- 20130724-1
- 質問
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解決
東京日日新聞について知りたい。
- 回答
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東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E/ (2013/07/24確認)
1872年(明治5)2月21日に創刊された東京初の日刊紙。条野採菊(じょうのさいぎく)(戯作(げさく)者)、落合芳幾(よしいく)(浮世絵師)、西田伝助(本屋の番頭)が発刊した新聞だが、翌73年甫喜山(ほきやま)景雄、岸田吟香(ぎんこう)が入社、岸田は74年5月台湾出兵に初めて従軍、紙上をにぎわわせた。ついで福地桜痴(おうち)が入社、12月2日から社説を掲載するとともに「太政官(だじょうかん)記事印行御用」を掲げて権威を高め、代表的大(おお)新聞としての性格と地位を固めた。以後、福地の論説は政府ならびに各界に影響を及ぼすとともに、政府の官報の役割を果たした。・・・
1904年(明治37)三菱(みつびし)の手に渡るが欠損が続き、11年3月『大阪毎日新聞』の経営下に入り、全国紙へと発展(題号はそのまま)、43年(昭和18)1月『毎日新聞』に題号を統一した。
東京日日新聞 【とうきょうにちにちしんぶん】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E (2013/07/24確認)
世界大百科事典 第2版
とうきょうにちにちしんぶん【東京日日新聞】
東京における最初の日刊新聞で,現在の《毎日新聞》東京本社の前身にあたる。1872年(明治5)2月に条野伝平らによって設立された日報社より創刊された。74年末に入社した福地桜痴(おうち)が社説欄を創設,政府御用新聞としての立場を鮮明に打ち出し,自由民権派の政論新聞に対抗して健筆をふるった。明治前期には岸田吟香,末松謙澄らも活躍した。80年前後からの政府批判の高まりとともに御用新聞批判が強まり,しだいに勢力を弱め,88年福地は社長の座を関直彦(1857‐1934)に譲り,退社した。
とうきょうにちにちしんぶん【東京日日新聞】 国史大辞典
東京最初の日刊紙。現在の『毎日新聞』の前身紙の一つ。明治五年(一八七二)二月二十一日、条野伝平(山々亭有人、戯作者、鏑木清方の父)・西田伝助(貸本店番頭)・落合芳幾(浮世絵画家)三人の平民によって創刊(発売は同二十二日)。発行所は日報社で、最初東京浅草茅町の条野宅であったが、次に日本橋元大坂町新道、浅草御門外瓦町一六、銀座二ノ三と転々、同九年尾張町一ノ一(中央区銀座五丁目)に移転した。明治六年、岸田吟香(わが国最初の新聞創刊者)を主筆に迎え、新聞文章の平易化(口語体の取入れ)、自由論のキャンペーンなどを展開。同七年、板垣退助らの民撰議院設立建白に始まる自由民権論争にその主舞台となる。同年、台湾出兵が行われると、わが国最初の従軍記者として吟香みずから従軍、報道新聞の声価を高め、発行部数も当時未曾有の一万四、五千部に達した。同年、福地桜痴が主筆(吟香は編集長に)として入社(間もなく社長)、「太政官記事印行御用」(政府から出る法令や達などを掲載する意)の看板を掲げるとともに、社説欄を創設、「世の中の一事一物桜痴の論説に左右されないものはない」(矢野竜渓)という全盛時代を迎える。・・・
創刊以来の『東京日日』は、毎日新聞社・国立国会図書館・東大明治新聞雑誌文庫などに保存されている。
[参考文献]
久保田辰彦編『廿一大先覚記者伝』、『東日七十年史』、杉浦正『新聞事始め』、『毎日新聞百年史』
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (071 9版)
- 参考資料
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- 毎日新聞百年史 : 1872-1972 / 毎日新聞百年史刊行委員会編 東京 : 毎日新聞社 , 1972
- キーワード
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- 東京日日新聞
- 大阪毎日新聞
- 毎日新聞
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E (2013/07/24確認)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000134205