レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼浦-2008-070 | |||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2008/12/19 | 登録日時 (Registration date) | 2009年04月23日 02時10分 | 更新日時 (Last update) | 2009年04月27日 14時40分 | |||||
質問 (Question) | 埼玉県における大正初期の乗合自動車について調べている。「全国自動車所有者名鑑」(東京輪界新聞社 大正4)の埼玉県の項目に、「比企郡小見野村 若山龍吉」とある。若山氏の乗合自動車経営について書かれた資料はあるか。 ※比企郡小見野村は現在の川島町。 | |||||||||
回答 (Answer) | 若山氏の乗合自動車経営について書かれた資料は以下の通り。ただし、詳しく書かれた資料は見あたらなかった。 『鴻巣市史 通史編3』 p459に、「〔大正〕3年3月2日、鴻巣-松山間および小川-熊谷間を結ぶ乗合自動車(バス)が岡安自働(ママ)車によって開通することになった。(中略)岡安自働車はバス3台で営業を開始したものの、購入代金の支払いができずに、バスを東京自働車に引き上げられてしまった。その後、資金を調達してようやく1台を確保し、鴻巣-松山間のみ開業として、小川-熊谷間は休止した。その後、岡安自働車は営業を取りやめ、両区間の営業権は比企郡小見野村(川島町)の若山龍吉が継承した。」とある。 『鴻巣市史 資料編6 近現代2』 p811-812に、「国民新聞埼玉版 大正3年10月10日」の記事が掲載されている。 「松山の自動車 今回営業許可 故岡安県議の計画になりし岡安自動車会社は同氏の変死やら馬車との競争やらにて鴻巣松山間熊谷小川間共前後して運転中止の已むなき有様となり地方交通の上に不便少なからざりしが其後比企郡小見野村若山龍吉氏全区間の権利を継続して営業許可の申請中なりし所本月初旬許可となりたれば同氏は更らに川越松山間も追願したりといへば開通の暁は沿道の便至大なるべし」 『吉見町史 下』(木耳社 1979) p676-677に、「大正2年のバスは今泉の岡安五郎氏が始めたが、間もなく廃止、これを受けて川島町下小見野の若山良造氏が復活したがこれまた間もなく廃止、(以下略)」とある。「若山良造」とあるが、「若山龍吉」と同一人物であるかは不明。 | |||||||||
回答プロセス (Answering process) | 小見野村(現川島町)ということで、川島町及び周辺市町村史を調査する。『鴻巣市史』『吉見町史』に記述あり。 『鴻巣市史 通史編3』p459にあった路線、鴻巣-松山間、小川-熊谷間の市町村誌を調査したが、該当する記述は見あたらなかった。 【鴻巣-松山間の市町村史の調査結果】 『川島町史 通史編・下』 p270-271に乗合自動車についての記述あり。「川島に関係ある路線として、大正2年(1913)10月に西武自動車株式会社が川越井草間の営業運転を始めた。その後、埼玉自動車株式会社(のち、東武自動車会社に買収、合併)が松山川越間の路線を運転(以下略)」とあるが、該当する記述は見あたらず。 『川島町史 地誌編』 p292-294「乗合自動車」に、上記『川島町史 通史編・下』と同様の記述あり。『熊谷市史 後編』の引用で、「乗合自動車の開始されたのは大正7年」とあるが、該当する記述は見あたらず。 『東松山市史 資料編 第5巻 民俗編』 p146に「大正二年、吉見の岡安五郎氏によって松山・鴻巣間にバスが開通し、その後幾変遷して(以下略)」とあるが、「幾変遷」の部分については記述なし。 『東松山市の歴史 下』『鴻巣町史 埼玉県郷土誌叢刊』(臨川書店 1987)『鴻巣史話』(鴻巣市 1969)には該当する記述なし。 【小川-熊谷間の市町村史の調査結果】 『小川町の歴史 通史編・下』『嵐山町史』『滑川村史 通史編』『大里村史 通史編』『熊谷市史 通史編』には該当する記述なし。 その他調査済み資料は以下の通り。 『新編埼玉県史 通史編6』(埼玉県 1989)p236-238「自動車輸送の発展」によると、p237に「県内のバス路線」の表(鉄道省運輸局編『汽車時刻表』(大正4年4月1日)より作成)はあるが、該当する記述は見あたらず。 『埼玉県警察史 1』(埼玉県警察本部 1974)p961-968「自動車の取締」に「自動車が本件に初めて入ってきたのは(略)大正2年であり、乗合自動車営業が始められたのは同5年であった」との記述はあるが、該当する記述は見あたらず。 『埼玉県行政史 2』(埼玉県 1990)p175-176「乗合自動車の普及と拡大」に「大正2年5月、川越町の住人らによって資本金25万円で関東自動車株式会社が組織され(以下略)」「大正5年2月9日には総武鉄道株式会社が大宮~粕壁間のバス事業(乗合自動車業)を開始」等の記述はあるが、該当する記述は見あたらず。 『埼玉県史 7』(埼玉県 1939)p432-442「乗合自動車」によると、乗合自動車の営業開始は大正5年。経営者一覧はあるが、該当する記述は見あたらず。 「乗合自動車の登場と取締り」(『埼玉自治 526号』 埼玉県自治研究会 1994) 『埼玉県行政史』とほぼ同じ内容。 『都道府県別資産家地主総覧 埼玉編』(日本図書センター 1988) 所収されている資料に、該当する記述は見あたらず。 「埼玉県昭和興信録」(博進社編 昭和4年刊)「日本全国商工人名録・埼玉県 付・埼玉県多額納税者及大地主 第2版」(明治31年刊)「日本全国商工人名録・埼玉県 付・埼玉県多額納税者 第5版」(大正3年刊)、「大日本商工録 高瀬末吉編 第11版」(昭和5年刊)p383「自動車輸送」の項に営業者の一覧が掲載されているが、該当する記述は見あたらず。 『埼玉人物事典』(埼玉県 1998)『埼玉壱百人』(埼玉通信社 1917) 『埼玉県人物誌 上』(埼玉県立文化会館 1963)『埼玉県人物誌 中』(埼玉県立文化会館 1964) 『埼玉県人物誌 下』(埼玉県立文化会館 1965)『埼玉県人物誌』(岩波書店 1921)『埼玉人物小事典』(埼玉人物小事典刊行会 1963)『埼玉県名士録』(明治写真協会 1914)『埼玉県名士鑑 全』(埼玉県名士鑑編纂会 1925)『埼玉県名誉鑑』(博学館 1915)『自治団体之沿革〔埼玉県之部〕』(東京都民新報社 1928)比企郡の名誉録にはなし。 「埼玉県内の自動車交通について」(『埼玉研究 第14号』 埼玉県地域研究会 1967) 「埼玉県の鉄道および自動車交通」(『埼玉研究 第14号』 埼玉県地域研究会 1967) 「自動車懐古談」(『川口史林 第31・32合併号』 川口市郷土史会 1984) | |||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | |||||
登録番号 (Registration number) | 1000054096 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |