レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年08月17日
- 登録日時
- 2009/11/22 10:22
- 更新日時
- 2015/07/15 11:53
- 管理番号
- nerima-光が丘-0004
- 質問
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解決
秀吉のお伽衆(おとぎしゅう)、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)の「米の倍増し」に関する話の出典を探しています。
内容は-秀吉が「何でも好きな褒美をやる」というと、新左衛門は「この広間の畳に、端の方から一畳目は米一粒、二畳目は二倍の二粒、三畳目はその倍の四粒、というように、二倍、二倍と米を置き、広間の百畳分全部いただきたい」と言った。秀吉はせいぜい米俵一俵か二俵くらいだと思い承知した。ところがあとで計算したところ、四畳までで十五粒、八畳で二百五十五粒、十六畳でも米一升(四万六千粒)くらいであるが、三十二畳で千八百俵、百畳ともなると5.5×1023俵という膨大な量になることがわかった。秀吉は青くなり、新左衛門に謝ってほうびを別のものに替えてもらったという。-
- 回答
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①【出典】『新群書類従 第一 演劇 其一』国書刊行会編 第一書房1976 P.六百五十七 西澤文庫 皇都午睡二編 下の巻 曾呂利の狂歌。
『(略)江州三井寺の石階の下より上迄五十一段御座候此下の段にて米壹粒を倍增に上まで下され候はゞ有難と申上る…』とあります。
米の倍増しの話ですが、 畳ではなく石階五十一段分の記述になります。
【参考資料】『日本伝奇伝説大事典』乾克己〔ほか〕編 角川書店1986 P.533の【曽呂利新左衛門】の項に、「貞享四年刊の『籠耳』にも秀吉の耳を嗅ぐ話が載り、ほかに有名な話としては、猿が秀吉に似る話(『半日閑話』)、胡瓜が真桑瓜を喰う話(『牛馬問』)、太閤の米買いの狂歌(『物類称呼』『文会雑記』)、大きな狂歌(『皇都午睡』)、一粒の米の倍増しの話(同)等があり、…」の記載に基づき調査しました。
『皇都午睡』は初編、二編、三編があり、それぞれ上・中・下の巻があります。
②国立国会図書館のホームページ、近代デジタルライブラリーで、“太閤と曽呂利”で検索します。
・『太閤と曽呂利』野花散人著 立川文明堂、明44.7(立川文庫:第8巻) P.40~44に「千両に負けてをけ」がご覧いただけます「一文の金子を元にいたしまして、此の御縁側にござりまする障子の駒の數に準じ、倍增しの勘定を以てお下げ渡しを下さりますれば・・・」と記載があります。 お米ではなく、お金と障子の駒の倍増しのお話です。
・同じ検索で『太閤之腰巾着曽呂利新左衛門』喋喃斎嚶鳴講演他、金桜堂 、明31.1、P.93~94に「第廿五席 曽呂利の懐中取込作」がご覧いただけます。「(略)若し金銀を下さるならば願はくは彼の百畳敷きの大廣間の周囲四角形に一個並べて頂戴致したうござる若し銅銭にてござれば右百畳敷の大廣間一面に並べて頂戴願ひたうござりまする…」と記載があります。お金と百畳敷きのお話ですが、倍増しの話ではありません。
③『日本伝奇伝説大事典』乾克己〔ほか〕編 角川書店1986 P.533の【曽呂利新左衛門】の項に「『曽呂里物語』『曽呂利狂歌咄』『堺鑑』などの寛文以降の出版物により、太閤秀吉へ出入りの滑稽人物曽呂利新左衛門が明確に世の中に広まっていく。(略)その他の考証随筆類にも曽呂利の逸話と伝記の考証が載る。しかしこれらの逸話と伝記がどれだけ事実であったか疑わしい。(略)曽呂利の逸話は、一休和尚の話などが出版文化隆盛期の寛文期に多数新作され膨張していったと同様にして成長したと思われる。」と記載があります。
④『堺市史 2 本編第2 複刻』三浦周行監修 大阪 清文堂 1977 P.595 曾呂利の話の項に「 曾呂利の事蹟として、人口に膾炙するのは少くないが、後の假託に成ったものが多いやうであって、其内の何れが眞を傳えたものか、確かでない。何れも常に人の意表の外に奇抜な咄や狂歌にて、一旦は怒らせ乍ら、逐には頤を解かせるあたり、話術の妙を極めたものである。(皇都午睡二編下、牛馬問、蜀山人半日閑話、理齋随筆) (略) 世事百談に「其事蹟人口に膾炙して、くさぐさのはなしありといへど、大かたは浮説のみにて、正しき事實にあらず、堺鑑に載るところやゝ實に近し」といってゐるが、それもあやしいものである。」と記載があります。ここに『皇都午睡二編下』 と記載があったため、①の出典の絞り込みができました。
①、②の資料が質問の内容に近い出典です。
③、④は出典の背景の補足説明になりますので参考にしてください。
- 回答プロセス
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○Googleにて、曽呂利新左衛門のキーワードで検索した。お米の類似話はあるが、出典には至らず。
○『国史大辞典 8』国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館1987 で そろりしんざえもん を確認、「曾呂利新左衛門 生没年不詳 豊臣秀吉の御伽衆と伝える人物。(略)本名を杉本甚右衛門、または彦右衛門ともいい、剃髪して坂内宗拾と称し、(略)『皇都午睡』『牛馬問』『半日閑話』『提醒紀談』『甲子夜話』『理斎随筆』『閑窓瑣談』など、江戸時代の随筆によって一般に流布したものである(参考文献)『堺市史』二・七」 と記載。
『日本随筆大成 第3期 10』日本随筆大成編輯部編 吉川弘文館 1977に掲載の『牛馬問』では鼠栗来でソロリと読む。『日本伝奇伝説大事典』乾 克己編 角川書店には曽呂里とも記載。
○『日本伝奇伝説大事典』乾 克己編 角川書店のP.533 1986 【曾呂利新左衛門】の項に、「大きな狂歌(皇都午睡)、一粒の米の倍増しの話(同)などがあり、」と記載あり。国立国会図書館ホームページの近代デジタルライブラリーで『皇都午睡 三編』西沢一鳳著 明16.10で本文を見たが、米の倍増しの話が確認できなかった。
○国立国会図書館ホームページのデジタルアーカイブポータルで曽呂利新左衛門のキーワード検索すると、92件ヒット。
“曽呂利新左衛門 米”で2件ヒット、1件目は近代デジタルライブラリー『常山紀談』湯浅常山著,湯浅元禎輯録,江見水蔭校訂 続帝国文庫 博文館,1909に『曾呂利新左衛門縷々頓知の事』が記載あり。米倉に紙袋をきせる話である。区内所蔵の『常山紀談 全三巻』湯浅常山著 森銑三校訂 岩波文庫1938 にあたるが、曾呂利新左衛門の記載なし。
2件目の近代デジタルライブラリー『風流ばなし』蕉雨逸人著 求光閣 明28.11 の中に記載されているのは、「曾呂利新左衛門の妙話」は木釜の話、「曾呂利新左衛門の諷刺」は太閤の米買いの狂歌の話である。
○下記の資料に「曽呂利新左衛門」の記載はあったが、今回の回答には関係しなかった。
・『国書総目録 第5巻』岩波書店 1967:P.346「曽呂利快談話」、「曽呂利狂歌咄」、「曽呂利新左衛門頓知話」、「曽呂利はなし」、「曽呂利物語」の書誌 記載あり。
・『江戸怪談集 中』高田衛編・校注 岩波書店 1989:「曾呂利物語」所収。
・『甲子夜話 2』 松浦静山著 平凡社 1978:巻之廿二 一七 曾呂利の事 所収。
・『日本随筆大成 第1期 8』日本随筆大成編集部編 吉川弘文館 1975:「半日閑話」に 曾呂利新左が頓智 猿が秀吉に似る話 所収。
・『日本随筆大成 第1期 18』日本随筆大成編集部編 吉川弘文館1976:「世事百談」に 曾呂利新左衛門自画賛 所収。
・『堺市史 7 別編 複刻』三浦周行監修 大阪 清文堂 1977:堺市史第一編 人物誌 第二章 全盛期(足利時代より豊臣時代迄)に(一五九 曾呂利新左衛門)の項 所収。
・『日本史こぼれ話 続々古代・中世』笠原一男編 児玉幸多編 山川出版社 2003:曾呂利新左衛門の処世術 所収。
○『茶人系傳全集』富永南〓(トミナガ,ナンガイ)編 天保8刊 は確認しなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 小説.物語 (913 9版)
- 日本語 (081 9版)
- 参考資料
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- 『新群書類従 第一 演劇 其一』国書刊行会編 第一書房 1976
- 『堺市史 2 本編第2 複刻』三浦周行監修 大阪 清文堂 1977
- 『日本伝奇伝説大事典』乾克己〔ほか〕編 角川書店 1986
- キーワード
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- 曽呂利新左衛門
- 豊臣秀吉
- 逸話
- 頓知
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ウェブレファレンスによる受付
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000060031