レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月27日
- 登録日時
- 2014/10/31 13:26
- 更新日時
- 2015/01/06 14:43
- 管理番号
- 埼浦-2014-063
- 質問
-
解決
下原刑場についての資料を見たい。さいたま新都心駅近くの高台橋のあたりにあった。
また、この近くの涙橋についても知りたい。
- 回答
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詳細な資料は見当たらなかったが、簡単な記述があった次の資料を紹介した。
『大宮市史 3 下 近世地誌編』(大宮市 1973)
大宮宿
p6 「大宮宿字地図」 地図上に下原あり。
p10 下原 「「鳥居先」の南にあった飛地で、高沼用水縁りから中山道の両側に広がる地域である。」
p16 涙橋、高台橋の記述あるが、刑場についての記述なし。
『大宮市史 5 民俗・文化財編』(大宮市 1969)
p555-559 「涙橋」などの伝説の記述あり。
『中山道大宮宿 大宮雑誌帳 9』(丸岡書店 1977)
p135-136 「高台橋処刑」
『ウォークイン・中山道大宮宿 ふるさとガイドさいたま 2』(さいたま市立博物館 2005)
p19 涙橋の記述あり。
『大宮をあるく 8 心ふれあう季節』(大宮市教育委員会 1995)
p2-3 高台橋の記述あり、p13 涙橋の記述あり。
『大宮雑記帳 6 大宮の地名』(丸岡書店 1975)
p9-12 高台橋の記述あり。また文中に、「高台橋刑場の資料は、(直接の資料は)無い。」との記述もあり。
『武蔵国郡村誌 2』(埼玉県立図書館 1954)
p212 高台橋あり。
『新編武蔵風土記稿 8』(雄山閣 1996)
p88 下段「小名 下原 町の南方吉敷町をへだてる所なり」
『日本刑罰史蹟考』(成文堂 1985)
p278 武州大宮宿の刑場跡についての記述あり。
- 回答プロセス
-
『新編武蔵風土記稿 8』
〈高台橋〉〈下原刑場〉の項目なし。
《Google》を〈涙橋〉で検索する。
《Wikipedia 大宮宿》(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%AE%BF Wikipedia財団 2015/01/06最終確認)
「涙橋(中之橋) 下町の排水路に架かる石橋であったという。 大宮宿を江戸方へしばらく下った所にある下原刑場へと送られる罪人は、ここ中之橋あたりで遺される者と涙の別れをすることになっていた。 そのため、いつの頃からか「涙橋」と呼ばれるようになったらしい。橋の跡地には今、「涙橋」と刻まれた碑が置かれている。」とあり。
大宮市史、地名・地理などの書架を調べる。
『大宮市史 3 上』『大宮市史 3 中』『大宮市史 4』『埼玉県警察史 1』該当記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 法制史 (322 9版)
- 参考資料
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- 『大宮市史 3 下 近世地誌編』(大宮市 1973)
- 『大宮市史 5 民俗・文化財編』(大宮市 1969)
- 『中山道大宮宿 大宮雑誌帳 9』(秋山喜久夫著 丸岡書店 1977)
- 『ウォークイン・中山道大宮宿 ふるさとガイドさいたま 2』(さいたま市立博物館 2005)
- 『大宮をあるく 8 心ふれあう季節』(大宮市教育委員会 1995)
- 『大宮雑記帳 6 大宮の地名 下巻』(秋山喜久夫著 丸岡書店 1975)
- 『武蔵国郡村誌 2』(埼玉県立図書館 1954)
- 『新編武蔵風土記稿 8』(雄山閣 1996)
- 『日本刑罰史蹟考』(重松一義著 成文堂 1985)
- キーワード
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- 法制史-日本-江戸時代
- さいたま市-橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000161630