レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月18日
- 登録日時
- 2011/11/30 17:59
- 更新日時
- 2012/05/31 18:00
- 管理番号
- 埼浦-2011-120
- 質問
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未解決
昔、さいたま市に「常盤町通り」という通りがあった。今のどこにあたるのか知りたい。「常盤町通り」は『あゝ玉杯に花うけて』(佐藤紅緑著)に出てくる。
- 回答
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「常盤町通り」は現在の旧中山道ではないかという推察はできたが、特定することはできなかった。
下記の調査経過と資料を紹介した。
『あゝ玉杯に花うけて 愛蔵復刻版少年倶楽部名作全集』
p113「『さあ』と巡査は首を傾げて『常盤町通りを眞直に行つた様に思ふが・・・』二人は大通りへ路を取つた。」とあり。
『少年小説大系16 佐藤紅緑集』
p474「解説」に「『ああ玉杯に花うけて』は、紅緑の大衆児童文学界へのデビュー作で、昭和2年5月から昭和3年5月まで『少年倶楽部』(講談社)に掲載された。」とあり、「常盤町通り」という名称は昭和初期には使われていたことがわかる。
「浦和名店会案内」(『浦和 No.15』巻末(頁付なし) 草土社 1968.5)
6ページ目に「ミズノカメラ店 常盤大通り」とあり。この「常盤大通り」が「常盤町通り」ではないかと仮定する。
『職業別電話番号簿 埼玉県版 昭和43年6月1日』
p208左下から11行目「水野カメラ店」とあり。この住所をもとに、住宅地図を調査。
『日興の住宅地図 浦和市西部版 [昭和43年]』
p16に「ミズノカメラ店」あり。仲仙道(現在の旧中山道)沿いのお店。
「常盤町通り」=「常盤町大通り」という仮定が正しければ、「常盤町通り」は現在の旧中山道にあたるが、それを裏付ける資料を見つけることはできなかった。
その他「常盤町通り」の記述がある下記の資料を紹介した。
「文学の中の浦和④」(『浦和市広報 市民と市政』p[5] 浦和市 1977.11)
『あゝ玉杯に花うけて』に出てくる浦和の場所を紹介した記事。
「そして、県庁や、浦和町役場、調神社、常盤町通り、清水屋横丁、浦和停車場などの背景が読者に親しみをいだかせています。」とあり。「常盤町通り」という名称はあるが、場所の紹介はなかった。
- 回答プロセス
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その他調査済み資料
『埼玉県浦和耕地整理組合事業完成記念帖』
『うらわ文化 特集 第15号 発会50周年記念号「大正末期の浦和」』
『浦和総覧 附図 浦和市街圖』
『埼玉評論 第6巻第4号』
『埼玉師範附属小学校 大正時代の児童と浦和の町なみ』
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (913 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 常盤町通り-さいたま市
- あゝ玉杯に花うけて
- 佐藤 紅緑(サトウ コウロク)
- さいたま市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000097306