レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月05日
- 登録日時
- 2020/09/16 14:19
- 更新日時
- 2021/02/09 15:56
- 管理番号
- 広県図実習2020-03
- 質問
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解決
『Living Hiroshima』が刊行された経緯を知りたい。
- 回答
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参考資料1『戦争と平和:<報道写真>が伝えたかった日本』【070.1/115シ】
p.152-162 『LIVING HIROSHIMA』
p.152 「1949年 広島県観光協会 戦後復興と県内景勝地をアピールするために広島県観光協会が『グラフ「ひろしま」』として企画し、(略)た英文写真集。1947年8月から10月にかけて文化社の木村伊兵衛、菊池俊吉、大木実らが広島市をはじめ呉、尾道、鞆の浦などを撮影して回り、(略)」
参考資料2『広島県立図書館友の会ニュース 本の虫MOTH』No.22(平成25年2月),広島県立図書館友の会【雑誌】
[p.6-7] 「平成24年度第1回ブックサロン 「『LIVING HIROSHIMA』と三冊の写真帳」」
[p.6] 「当時の広島は世界で初めての被爆地として注目を集めていました。そこで、財政の逼迫していた広島県は”観光広島”という打開策を掲げ、観光政策の一環として県観光協会が『グラフひろしま』の製作を事業計画として取りあげました。」
[p.6] 「この頃の日本はインフレのピーク。その上、原爆に関してはGHQによる厳しい言論統制。(略)厳しい状況の中、『グラフひろしま』は、最終的に誌名を『生きている広島(LIVING HIROSHIMA)にかえて、昭和24年5月、遂に完成します。」
参考資料3『photographers' gallery press no.12』【H74/カシケ114ア】
p.51-79 「座談会『LIVING HIROSHIMA』をめぐって」
p.53 「『LIVING HIROSHIMA』は、広島県観光協会が『グラフ「ひろしま」』と題して企画し、同協会所属で瀬戸内海文庫(広島市)を創業したばかりの田中嗣三(1902~1994)が発行者となった。」
参考資料4『戦後広島のドキュメンタリー・グラフ:田中嗣三と『生きている広島』』【H289/タナツ106ア】
p.1 「昭和二十四年(一九四九)五月、被爆地ヒロシマの実情と広島県内の観光名所・風景などを紹介する初めての本格的な写真集が刊行されました。この写真集は、海外向けに広島を紹介する目的でつくられたもので、『LIVING HIROSHIMA(『生きている広島』)』という書名で出版されました。」
p.2 「『生きている広島』は、当初は『グラフひろしま』として出版が計画された。この計画は、広島県観光協会が県の事業計画として取り上げたものである。終戦後、県の財政は極度に疲弊しており、その打開策として“観光広島”が掲げられ、その一環として『グラフひろしま』の製作が決定された。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 写真 (740 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 1『戦争と平和:<報道写真>が伝えたかった日本』白山眞理,小原真史/著,平凡社,2015 (p.152-162 『LIVING HIROSHIMA』)
- 2『広島県立図書館友の会ニュース 本の虫MOTH』No.22(平成25年2月),広島県立図書館友の会【雑誌】 ([p.6-7] 「平成24年度第1回ブックサロン 「『LIVING HIROSHIMA』と三冊の写真帳」」)
- 3『photographers' gallery press no.12』photographers' gallery,2014 (p.51-79 「座談会『LIVING HIROSHIMA』をめぐって」)
- 4『戦後広島のドキュメンタリー・グラフ:田中嗣三と『生きている広島』』[広島県立文書館/編]、広島県立文書館,2006 (p.2 「『生きている広島』の出版計画」)
- キーワード
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- LIVING HIROSHIMA
- 広島県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287229