レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月01日
- 登録日時
- 2020/11/26 11:29
- 更新日時
- 2020/12/10 10:39
- 管理番号
- 市川20200701-02
- 質問
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解決
茶飯は千葉県市川市行徳が発祥の地だと聞いたが、そのことがわかる資料はないか。また、そのつくり方が知りたい。
- 回答
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『行徳昔語り』などの地域資料には茶飯に関する記述は見当たらなかった。
『日本の食生活全集12 聞き書 千葉の食事』(農山漁村文化協会 1989)を見ると、p.125に東京湾口の食として「醤油茶の子」の記載があり、「醤油を入れて炊いた醤油飯のことである。米一升に五勺弱の醤油を入れて炊き、あがりぎわに酒をふりかける。田植えの八つ茶や忙しいときにつくり、おにぎりにもする。醤油をいれるのでこげやすいが、おこげのおにぎりはとてもおいしい。」とあった。また、同書p.249に北総台地の食として「茶飯」の記載があり、こちらは「初夏の茶もみの日に淡い緑の茶飯を炊く。ふるい落ちの粉茶を、炊いている白飯が炊いたら入れて、塩を薄味に加えてたきあげる。」との内容が確認できた。
上記から千葉で言うところの茶飯とは醤油を入れて炊いた茶色のご飯のことを指すと思われるが、これが千葉県市川市行徳発祥であるという記述は発見できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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現在、一般的に茶飯とは「醤油で炊いた茶色のご飯」と「お茶で炊いたご飯」の2通りを指すようですが、もともとは奈良茶飯と呼ばれる煎大豆や焼き栗を入れた塩味の茶漬飯のことで、東大寺や興福寺の僧侶たちが食べていたと言われています。
江戸では井原西鶴の『西鶴置土産』に、明暦の大火後、浅草の門前の茶屋がさまざまな美しい器に盛られた奈良茶漬と称する料理が安くて、庶民にとても評判になっているとの記述が見られます。
奈良茶漬の作り方については『今古調味集』(1580年)や『料理献立早仕組』(1833年)に見られますが、いずれも十分に出した煎茶に水加減をした上で、一升の米に対して中盒(なかかさ;飯盒の中蓋)に醤油一杯、酒一杯を入れて炊くという点が共通しています。
茶どころの静岡県の茶飯は、お茶の葉を煮出して(米一升にお茶葉ひとつかみ程度)、塩味(大さじ一杯くらい)をつけ、ふつうのごはんと同じように炊き上げたものです。
現在奈良県では「茶漬」より「茶がゆ」が一般的で、奈良盆地の茶がゆは番茶を用い、さらっとしてるのが特徴との事です。
出典:『日本の食生活全集12 聞き書 千葉の食事』 農山漁村文化協会
『日本の食生活全集22 聞き書 静岡の食事』 農山漁村文化協会
『日本の食生活全集29 聞き書 奈良の食事』 農山漁村文化協会
『現代語訳 西鶴全集十二』 井原西鶴/著 暉峻康隆/訳・注 小学館
『江戸外食文化の始まり|日本食文化の醤油を知る』
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference15.html (2020.12/10確認)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000289866