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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
0001003626
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2023年03月31日 18時04分更新日時
(Last update)
2023年03月31日 18時04分
質問
(Question)
新潟県の翡翠が沖縄でも出土したと聞いた。いつ頃のものか、またルートや手段など、当時どのような交流があったのか知りたい。
回答
(Answer)
沖縄県内の翡翠製品は、縄文時代後期末から弥生時代初頭の遺跡からの出土品で、九州地域に分布する玉類の多くのもとは異なる別の流通・消費ルートであった可能性がある。
以下の資料を案内した。


『南島考古 第26号』(沖縄考古学会/[編] 沖縄考古学会 2007.3)
 p65-80「南西諸島出土のヒスイ製品」(新里 貴之/著)より
p66 「図1 ヒスイ製品出土遺跡分布図」の中に沖縄県内8カ所の遺跡(西長浜原遺跡、吹出原遺跡、木綿原遺跡、クマヤー洞穴遺跡、伊礼原A遺跡、城間古墓群、兼城上原第2遺跡、高嶺遺跡)の記載がある。
p67 「沖縄県域出土の製品は、北陸外の地域(九州・種子島)で再製作された可能性がある…移動ルートについては…九州西岸搬入ルートの可能性について示唆している」とある。
p71-72 「H)城間古墓群(沖縄島)(図3-5・11)」の項で、「出土状況から考えれば、近世に帰属する。しかし、奄美・沖縄諸島では比較的知られる近世のヒスイ勾玉ではないため、ここでは、2つの資料を、先史時代のヒスイ製品の可能性があるものとみなして挙げておきたい。」とある。
p77-78 「5.おわりに」の項で、「以下に、南西諸島出土先史時代ヒスイ製品についてまとめる。
1)南西諸島では、大隅諸島から沖縄諸島までの範囲で分布している。(省略)
2)X線マイクロアナライザーによる半定量分析と肉眼観察による結果から、これらはすべて糸魚川・青海産ヒスイであるとされる。
3)搬入時期は、沖縄前IV期末~前V期末、縄文時代後期末~弥生時代中期初頭の時期幅にほぼ絞り込める。
(省略)
11)南西諸島へのヒスイの搬入ルートは、九州石材玉の流通・消費ルートとは別ルートの可能性がある。」とある。


『縄文と沖縄 火焔型土器のシンポリズムとヒスイの道図録』(沖縄県立博物館・美術館/編 沖縄県立博物館・美術館 [2018.11序])
 p62-66「先史時代のネットワークとヒスイの道」より
p63 「土器だけでなく黒曜石やヒスイも、海を越えて運ばれていった。不思議なことに、沖縄では九州ブランドのクロム白雲母の玉類は全く発見されておらず、緑色玉質の玉類は糸魚川産のヒスイに限られる…黒曜石やヒスイは日常的な交易の延長で人の手から手へと連鎖的に運ばれたというよりは、直行便のような形で、交易品のパッケージが目的地まで一気に届けられていたのかもしれない…糸魚川までは直線距離で約一五〇〇km離れており、沖縄から見つかる黒曜石やヒスイは、数ある縄文時代の交易品の中でも最も長い距離を運ばれたアイテムと言えるだろう。」とある。
p65 「180 沖縄・奄美出土のヒスイ製玉類」に、「新潟の糸魚川から沖縄に至るヒスイの道は、縄文時代の情報ネットワークの一端を占めるハイウェイでもあった。」とあり、兼城(かねぐすく)上原第二遺跡(糸満市)、城間古墓群(浦添市)、高嶺遺跡、クマヤー洞穴遺跡、西長浜原遺跡(今帰仁村)、吹出原遺跡、伊礼原遺跡、カヤウチバンタ遺跡(国頭村)、木綿原遺跡、仲宗根遺跡(沖縄市)で出土した玉類の写真がある。

 p88-95「南島出土ヒスイ製品の特質」(新里 貴之/著)より
p89 「(2)分布(図1)」の項中、「2018年現在、…沖縄本島で破片を含めて9遺跡18点(カヤウチバンタ遺跡・西長浜遺跡・吹出原遺跡・木綿原遺跡・クマヤー洞穴遺跡・伊礼原遺跡・仲宗根遺跡・城間古墓群・兼城上原第2遺跡)、宮城島高嶺遺跡において1点…、縄文時代の九州地域に分布する玉類の多くが、クロム白雲母や滑石・蛇紋岩製とされるが(大坪2015)、これらがほとんど流通せず、糸魚川地域産ヒスイ玉類のみが南島に流入してくる背景を、今後追及する必要がある。」とある。
p90 「(3)種類(図2)」の項中、「これらの南島出土ヒスイは、新潟県糸魚川市フォッサマグナミュージアムにおいて、X線マイクロアナライザーによる半定量分析及び肉眼観察に肉眼観察による鑑定を経た結果、すべて糸魚川地域産ヒスイであるとされた。原産地である新潟県から最南端の沖縄県まで、日本海岸から沿岸部を最短の海路をとっても、じつに1800㎞以上の距離がある。」とある。
p90 「(4)もたらされた時代・時期(表1)」の項中、「明確な時期が分かるものは少ないが…貝塚時代前4期初頭から前5期末にかけてもたらされている。これは、本土の編年観と照合すれば、縄文時代後期中葉~弥生時代前期までの時期に並行すると考えられる。」とある。また、同ページには「南島ヒスイ製品出土地点」地図の掲載がある。


『西長浜原遺跡 範囲確認調査報告書』(沖縄県埋蔵文化財センター/編 沖縄県立埋蔵文化財センター 2006.3)
p229 「第5節 西長浜原遺跡出土のヒスイ製品分析」の項で、「2 大珠状製品 糸魚川・青海産のヒスイ輝石…現在種子島から沖縄諸島で出土・採集されているヒスイの疑いのある玉類は全て糸井[原文ママ]川・青海産のヒスイと判定された。」とある。


『沖縄県史料 考古関係資料 1 前近代9 考古関係資料 沖縄県立図書館史料編集室/編 沖縄県教育委員会 1996.3』
p292 「琉球勾玉考」(島田 貞彦/著)(p282-292)の中で、「其の製作年代に於いて本邦及南鮮の古墳時代に属するものでないことは論をまたないが、これを以て本邦の所作なりとするか、はた南鮮とするか或は南方支那即ち玉の原産地に於いてとするかである…硬玉の所産地を以て南支那方面を指示せられたのを以て穏当とする場合…」とある。


『沖縄のガラス・玉等製品関係資料調査報告書』(沖縄県教育庁文化課/編集 沖縄県教育委員会 2011.3)
p30 「玉ガーラ」(津波古 聰/著)(p29-35)の中で、「琉球国でも先史時代やグスク時代等の遺跡から勾玉や水晶玉等が出土しているが、そのほとんどを国外に求めたと思われる。「おもろさうし」や各地方に伝わる神詩の中に大和に出かけ、玉(勾玉あるいは水晶玉)を持ち帰るという内容の詩が散見される。…しかしながら、奈良時代には、日本において勾玉の製作をほとんどしていない状態であること、一般女性が使用することを考えると、ここでの玉は水晶玉やガラス玉を指していると思われる。琉球国の勾玉は、日本からの輸入品であるが、それとも琉球国でも研磨の技術があり、自作していたかもしれないが、この翡翠や水晶の加工技術については定かではない。」とある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
南島考古 第26号 沖縄考古学会/[編] 沖縄考古学会 2007.3 (p66-67、71-72、77-78)
縄文と沖縄 火焔型土器のシンポリズムとヒスイの道図録 沖縄県立博物館・美術館/編 沖縄県立博物館・美術館 [2018.11序] (p63、65、89-90)
西長浜原遺跡 範囲確認調査報告書 沖縄県埋蔵文化財センター/編 沖縄県立埋蔵文化財センター 2006.3 (p229)
沖縄県史料 考古関係資料 1 前近代9 考古関係資料 沖縄県立図書館史料編集室/編 沖縄県教育委員会 1996.3 (p292)
沖縄のガラス・玉等製品関係資料調査報告書 沖縄県教育庁文化課/編集 沖縄県教育委員会 2011.3 (p30)
キーワード
(Keywords)
翡翠
糸魚川産ヒスイ
青海産ヒスイ
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000331324解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決

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