レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 山形県立図書館 (2110039) | 管理番号 (Control number) | 2021-01 | ||||
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事例作成日 (Creation date) | 登録日時 (Registration date) | 2023年03月27日 15時23分 | 更新日時 (Last update) | 2023年03月30日 18時37分 | |||
質問 (Question) | 『週刊 日本の城 第19巻』に「美しい櫓で評判になったという」と紹介されている山形城の月見櫓と、インターネット(米沢観光コンベンション協会)で存在を知った米沢城の月見櫓の資料が見たい。 | ||||||
回答 (Answer) | 〇山形城の月見櫓 「美しい櫓」と示された文献はありませんでしたが、以下の資料に月見櫓の情報が ありました。 資料1「史跡 山形城跡 本丸西堀・土塁跡発掘調査報告書 -史跡山形城跡(霞城公園)整備報告書Ⅵ-山形県山形市埋蔵文化財調査報告書 第40集」には以下のとおり記載がありました。 「まとめ 1-3 西堀内崩落の石垣石材 本丸西堀内堀底堆積層上からは比較的多量の石垣石材が出土した。西土塁上には 隅櫓がかつて存在したが、明治期の廃城あるいは旧陸軍配備に伴う本丸解体において 投棄崩落したものと推察する。その検出範囲を示せば、本丸西堀南西隅周辺…(略)… 江戸時代の絵図等を参照すると隅櫓があり、前者は「本丸月見櫓(別称坤櫓)」で 名称が判明し、…(略)…その破壊に伴う崩落であることが明瞭である。各櫓は江戸前期の 「鳥居忠政による大改修」以後の構築であり、現存する二ノ丸土塁の櫓台石垣と同時期の 普請によるものであったと考えられる。…」 また、同資料に本丸月見櫓の推定位置が記載された図と、「秋元氏時代山形城絵図に みる本丸月見櫓の絵図(粕川家所蔵)」の図が掲載されています。 また、現在の写真となりますが、山形市HP国指定史跡山形城跡「霞城公園」(以下リンク) の各種パンフレット>霞城公園全体に関するもの>国指定史跡山形城跡(PDF 6.6MB) にて坤櫓の写真が確認できますので参考までにご紹介いたします。 【 https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shisetsu/kurashi/1008161/1003675.html 】 〇米沢城月見櫓について 以下の資料に月見櫓の情報がありました。 資料2「米沢城 上杉氏の居城 特別展」には以下のとおり記載がありました。 「防御と攻撃の施設④ 櫓の役割 …(略)…高層建築である櫓は時に眺望を楽しむ風流の場でした。資料18「松岬堞城図」 によれば、二の丸北東には享和元年(一八〇一)まで二階建ての花見櫓があり、 堀の向こうに広がる花畑を眺めることができました。また本丸南側には、多聞櫓の上に 組まれた月見櫓が確認できます。」 | ||||||
回答プロセス (Answering process) | |||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | '出典 ・ディアゴスティーニ『週刊日本の城 19巻』 ・米沢観光コンベンション協会HP http://samidare.jp/yonezawa/lavo?p=log&lid=44305 調査済み文献 ・『山形市史中巻 近世編』 ・『米沢市史 第3巻』 ・『米沢市史 第2巻』 | ||||||
NDC | |||||||
参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) | |||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||
備考 (Notes) | |||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 学生 | ||
登録番号 (Registration number) | 1000331056 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |