レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 広島県立図書館 (2110011) | 管理番号 (Control number) | 広県図2022028 | ||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2021年10月19日 | 登録日時 (Registration date) | 2023年03月07日 15時48分 | 更新日時 (Last update) | 2023年03月31日 18時07分 | ||||||
質問 (Question) | 現在の福山市鞆町にあった鍛冶屋町(鍛冶町)の場所を調べている。 毛利時代以前,毛利時代,福島正則時代のそれぞれの場所について,時代ごとの変遷が分かる資料はあるか。 | ||||||||||
回答 (Answer) | 福山市鞆町の鍛冶屋町(鍛冶町)の場所が,現在の福山市鞆町のどこにあたるか調査したところ,参考資料1~5に関連記述がありました。 時代ごとの変遷が詳しく分かる資料は見付かりませんでした。 また,鍛冶屋町にある小烏神社の場所の変遷について触れた資料は見付かりませんでした。 現在の小烏神社の場所は,参考資料6のとおりです。 参考資料1『沼隈郡誌』【H291.53/N99a】 p.296-298 鞆鍛冶 「慶長の末鞆町奉行岡本傳之亟此等の鍛冶職を一町に集めしが、(略)」 p.540 小烏神社 「鍛冶町にあり。沼名前神社の堺外末社にして鍛冶屋町の氏神なり。(略)案ずるに當浦は刀匠の名手輩出せし地なれば其時代よりの鎮座なるべし。(略)」 参考資料2『歴史紀行鞆の浦』【H20.52/モリシ85ア】 p.112-115 鞆鍛冶 p.113 「鞆の鍛冶屋町には小烏神社が鎮座している。」 p.114 「南北朝時代の正平四年(一三四九)に、足利直冬が中国探題となってこの地に来て、そのあと小鳥の森で合戦が行なわれた。そのときすでに鞆の町には鍛冶屋町があり、小烏の神が祭られていたと思える。その神社のあった森が小烏の森だ。」 参考資料3『鞆の浦の自然と歴史』【H291.52/フクヤ98cア】 p.53 鞴祭と鞆鍛冶 「1601(慶長6)年、福島正則が安芸、備後に入府して、(略)その時、鞆港周辺に居住していた鍛冶職人を鞆城の北側に集めて鍛冶屋町としました。(略)その町の中心に小烏神社があり、(略)」 参考資料4『鞆の浦三千年』【H21.53/Y64ア】 p.56 鞆の鍛冶職 「慶長の末頃には鞆町奉行が、此等の鍛治職を一所に集めたか今の鍛治町の起源である。鍛治町には小烏神社があつて、町の氏神となつているが、(略)」 参考資料5『鞆今昔物語』【H21.52/O63】 p.50 祭神と鞴のいわれ p.50 「推定四百年ほどの昔に、その子孫の鍛治職たちは氏神様として小烏神社を祀ったのである。」 参考資料6『ゼンリン住宅地図 福山市 [2021]2』【H292.5/センリ1/121-2】 p.230左 小烏神社 鞆町後地 | ||||||||||
回答プロセス (Answering process) | |||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 地名 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||
登録番号 (Registration number) | 1000329921 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 未解決 |