レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 福岡県立図書館 (2110014) | 管理番号 (Control number) | 福郷-187 | |||||||||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2022年07月14日 | 登録日時 (Registration date) | 2023年02月08日 15時34分 | 更新日時 (Last update) | 2023年02月09日 18時19分 | |||||||||||||||||||
質問 (Question) | 明治期末期から昭和初期にかけて、現在の福岡市に存在した箱崎水族館について知りたい。 | |||||||||||||||||||||||
回答 (Answer) | ◆参考資料1『博多郷土史事典』 p.216-217に「箱崎水族館」の項あり。 「地元福岡財界人の発起で設立された合資会社箱崎水族館(資本金九万二千円)は第十三回九州沖縄八県共進会(明治四十三年三月一日から五月五日まで現在の天神一、二丁目で開催)の付属事業の一環として箱崎浜に明治四十三年三月二十四日に開館した。」とある。 「水族館設立は箱崎神苑の繁栄策の一手段として計画されたものでもあり、同時にその向い側に潮湯抱洋閣(洋館二階建、建坪七百坪、明治四十三年八月落成)も建設されたが、昭和六年国道三号線の建設にあたり、両者とも撤去された。」とある。 ◆参考資料2『ふくおか歴史散歩 第4巻』 p.163-164に「箱崎にあった水族館‐共進会がらみで設立」の項あり。 「第十三回九州沖縄八県連合共進会が福岡城肥前堀埋め立て地(現・中央区天神一~二丁目)を中心に華やかに開幕した明治四十三年三月、これに歩調を合わせ箱崎水族館が粕屋郡箱崎町(現・東区箱崎)に開館している」とある。 「大野仁平、岡部慶太郎、大三輪貫次郎、渡辺与八郎、谷彦一、深見平次郎、古賀荘兵衛、平岡良助の八氏が、それぞれ一万千五百円を出資して設立した。」とある。 ◆参考資料3『博多いまむかし』 p.158-159に「箱崎水族館」の項あり。 「建設の発起人は渡辺与八郎ら地元財界人。直接のきっかけは明治四十三年の八県連合共進会の付帯施設だったが『市民がいつまでも楽しめる恒久の場に』と九万二千円を出資した」とあり、敷地は約2300平方メートル。展示は「タイ、サバ、タコなど博多湾近海産が主体」とある。また、「昭和六年、国道3号が敷地の真中を通ることになってとりこわされた」の記載がある。p.158に外観写真の掲載あり。 ◆参考資料4『県史だより』第26号p.4に参考資料3と同内容の記載がある。 ◆参考資料5『福岡市史』第一巻明治編 「明治主要年表」p.1600には「三月一日 箱崎水族館開館す。」とある。 ◆参考資料6『福岡県案内』 p.151-152「箱崎町」は「海岸には(中略)水族館等あり」との記述がある。 ◆参考資料7『西日本文化』490号 p.10-16、森下明彦「九州沖縄八県連合共進会とパノラマ館―文化都市への胎動―」中p.10に『福岡日日新聞』明治43年3月29日掲載の連合共進会の大要として「筥崎浜 水族館」とある。また、p.16に明治43年1月1日の『福岡日日新聞』の記述が引用され、久保猪之吉は『東公園には劇場、”パノラマ”起らむとし、西公園には水族館を開かむとす』と書く(中略)。劇場とは博多座を指し、水族館は箱崎浜に開設される」とある。 ◆参考資料8『陸軍特別大演習記念 福岡県[写真帳]』 p.48に「箱崎水族館」のタイトルで外観写真あり。 ◆参考資料9『陸軍特別大演習記念 福岡県[写真説明文]』 参考資料8と対になる資料。 「箱崎水族館(四八)」の項に「福岡市外箱崎町海濱ニ在り放養池ニハ大小各種ノ魚族溌剌トシテ頗ル美観ヲ呈ス」とある。 ◆参考資料10『福岡歴史探訪 東区編』 p.181「放生会からマリンワールドまで」の項に「抱洋閣の向い側に同じ明治四十三年三月に『箱崎水族館』が開館した。これは同年三月に開会された第十三回九州沖縄八県連合共進会にあわせて開館したものである。」 「当時は、まだ福岡市には動物園はなかった。珍しい動物が見られるのは放生会の”タカもん”でやってくる移動の動物園ぐらいであったから、この水族館は人気を集めた。」とある。 ◆参考資料11『唐津街道箱崎宿情景四季物語』 p.25に「箱崎水族館」の項あり。 参考資料1の記述を踏まえ「またインド産のワニや樺太産オットセイなどの生き物も配置、屋外養魚場や鳥類大金網もあって、博覧会終了後も市民の憩いの場としてにぎわった」とある。 ◆参考資料12『福岡近代絵巻』 p.71に「筥崎海岸 水族館」の写真とともに解説文がある。 ◆参考資料13『ふるさと100年』 p.61に「箱崎水族館」の写真とともに解説文がある。 ◆参考資料14『明治の博多記』 p.310に土建業者岩﨑組の業績に触れる文脈で「また箱崎浜の水族館も建てた。これは四十年八月に起工して四十三年八月十一日に落成式を挙行。潮湯抱洋館といったほうが有名だった。大衆の憩いの場として構想、煉瓦造り二階建で建坪七百坪。水族館はもちろん海水浴場、蒸風呂など着想に新機軸を出し、しかも博多湾を一望に納めた。注文主は安増宝太郎と深川友次郎。」とある。 ※ここでは箱崎水族館の別名が潮湯抱洋館であるかのような書き方がされているが、参考資料1、参考資料10では別の施設と解説されている ◆参考資料15所収「四、山本作兵衛-日記・手帳-<解読>資料」(阿部正紀ほか) p.190の昭和九年四月八日の日記に「我 大野、ヲヤ子 松元 坂井ヲヤ子、途中、脱出シテ、筥崎ニ徒歩デユキ、水族館ヲ見ル」とある。 ◆参考資料16『定本夢野久作全集』所収の小説「ドグラ・マグラ」では、登場人物の斉藤、正木の死体発見場所として「筥崎水族館裏手の海岸」が出てくる。 p.138「そうしてその翌る朝早く、筥崎水族館裏手の海岸に溺死体となって浮き上っておられたのです。発見者は水族館の掃除女でしたが」とある。 p.142「正木先生は、あの翌日亡くなられたのです……しかも、ちょうど一年前に、斎藤先生が溺死を遂げられた、筥崎水族館裏の同じ処で、投身自殺をされたのです」とある。 ◇参考URL1掲載論文「福岡市とその近郊における近代海浜リゾートの成立に関する研究」(麻生 美希) ( https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/50/3/50_1196/_pdf/-char/ja 最終確認2023.1.29) p.1200-1201の「5.初期の代表的な海浜リゾートである箱崎・津屋崎」に箱崎水族館建設の経緯等が記載されている。 また、当館ウェブサイトデジタルライブラリ収録の以下の地図等で「箱崎水族館」の位置が確認できる。 ◇参考URL2『福博電車沿線名所案内』(明治43年)(タイトルコード:1104135128) ( https://adeac.jp/fukuoka-pref-lib/catalog/mp040720-100040 最終確認2023.1.29) ◇参考URL3『福岡市街図』(昭和6年)(タイトルコード:1106490750) ( https://adeac.jp/fukuoka-pref-lib/catalog/mp040900-100040 最終確認2023.1.29) | |||||||||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 福岡市の近代についての図書を確認。そこから得られた「九州沖縄八県連合共進会」をヒントに更に調べた。 | |||||||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000328723 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |