レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 福岡県立図書館 (2110014) | 管理番号 (Control number) | 福郷-186 | |||||||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2022年10月22日 | 登録日時 (Registration date) | 2023年02月08日 15時26分 | 更新日時 (Last update) | 2023年02月09日 18時12分 | |||||||||||||
質問 (Question) | 昭和37年の完成当時、東洋一の吊り橋とされた若戸大橋について知りたい。 | |||||||||||||||||
回答 (Answer) | 若戸大橋の概要は以下の通り。 ◆参考資料1『福岡県百科事典 下』 p.1112「若戸大橋」の項目に「北九州工業地帯の海の玄関口洞海湾に架設された一般国道199号線の吊橋。石炭と海運の町旧若松市(北九州市若松区)と鉄の町旧戸畑市(同市戸畑区)を結ぶ。総延長2068m,海上部を横架する部分が680m,中央径間長367mで,建設当時東洋一の規模であった。」 「1955年(昭和30)『道路整備特別措置法』による有料道路として調査を開始,1958年4月着工,4年の歳月と総事業費51億円をかけ,1962年(昭和37)9月完成した。」とある。 以下、若戸大橋に関する資料を紹介する。 ◆参考資料2『詳説福岡県議会史 昭和篇 第3巻』 p.816-817昭和27年第7回県議会(2月定例会)の「土木建築関係」に「若戸橋架設調査」が掲載されている。 「昭和十一年、県営をもって若松・戸畑間の洞海湾口に、海底トンネル開さくの計画をたて総工費五百五十万円、三カ年継続事業として予算を計上したが、戦時下資材及び労力の獲得困難のため実行困難に陥った。終戦後改めて再検討の上開さく事業を廃止し、建設省直轄施工の方針が決定し若戸橋架設計画に変更し、三カ年継続事業として昭和二十七年、基礎の地質調査費千五百万円を計上。」とある。 ◆参考資料3『若戸橋 橋のかけ方 工事の概要』 日本道路公団による本格工事前の工事概要説明資料である「橋のかけ方」と「工事の概要」を合冊した資料。工事図面とともに写真で工事の概要が説明されている。 ◆参考資料4『若戸大橋 戸畑側下部工事竣工記念』 若戸大橋戸畑側下部工事を担当した株式会社熊谷組による工事概要説明資料。 施行中の写真、竣工写真も複数掲載されている。 ◆参考資料5『若戸大橋』 日本道路公団による若戸大橋の工事誌。調査、用地買収、工事等の経緯が記録されているほか、竣工時のカラー写真、工事写真集も掲載されている。 ◆参考資料6『若戸橋調査報告書』 日本道路公団福岡支社による若戸大橋の工事に先立ち実施された調査の920頁に及ぶ詳細な調査記録。 ◆参考資料7『若戸橋工事報告書』 日本道路公団福岡支社による若戸大橋の1248頁に及ぶ詳細な工事記録。 ◆参考資料8『日本道路公団二十年史』 p.431に「戦後の長大橋の幕開けとなった若戸大橋(支間376メートル,昭和37年)の建設に当たっては,我が国初の本格的吊橋工事ということもあって,大学を始め学識経験者の協力のもとに,設計,施工に必要な調査・試験・研究が体系的に実施され,工事完成の大きな推進力となった」とあり、続いて若戸大橋の工法等について記載がある。 ◆参考資料9『北九州市史 五市合併以後』 p.245に「若松・戸畑間の架橋は(中略)初めはトンネル案が登場し、昭和五年の若戸渡船転覆による七二人の水死者事件も関係がある。」 「橋の総延長二〇六八メートル、灰色にくすんだ洞海湾にかかった深紅の色彩は、北九州工業地帯の若返りへの期待をかねて、地域にとって明るい話題であった。」とある。 ◆参考資料10『図説北九州の歴史』 p.216-217に「両市(若松市、戸畑市)間の距離はわずか四〇〇mであるが、その間の輸送は渡船に頼るのみであった。洞海湾の連絡道路建設が叫ばれるようになったのは、昭和五年四月二日の、若戸渡船の転覆により七三人の水死者を出す大惨事が発生してからで、(中略)昭和十三年に海底トンネル工事の認可が下りたが、第二次大戦勃発のため計画は中断された。戦後、北九州五市の合併論議に併せて、再び若戸架橋構想が起こり、昭和二十七年の『道路整備特別措置法』の成立を契機に、有料橋として建設されることとなった。」とある。 ◆参考資料11『プロジェクト九州3』 第一章(p.3-42)が「若戸大橋」の項目となっており、関係技術者のインタビューや政治家の建設運動が詳しく記載されている。 ◆参考資料12『新修・北九州市史 市制編』 p.467「戦前にトンネル案で計画された洞海湾横断道路建設が戦争で中止となり、同30(1955)年に国の調査が再開され吊り橋案に決定した。日本道路公団が事業を引き継ぎ同33(1958)年4月に着工し、北九州市発足を前にした同37(1962)年9月に供用開始された。当時は東洋一の規模を持つ吊り橋であり、ここで開発された技術は世界に誇る日本の長大橋架橋技術の出発点となった。橋の色は情熱・使命を表す色としてカドミウム・レッドが選ばれた。若戸大橋は、北九州地域を一体化する合併のシンボルとなり、『夢の架け橋』と呼ばれた」とある。 ◆参考資料13『若松 今昔写真展50選』 若戸大橋開通50周年記念で開催された「今昔写真展」の記録。若戸大橋を中心とした若松区の風景などが年代ごとに写真で確認できる。 | |||||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | ||||||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000328722 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |