レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/1/27
- 登録日時
- 2023/01/27 16:09
- 更新日時
- 2023/03/23 12:39
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-161
- 質問
-
中尾城について知りたい。
- 回答
-
中尾城は、東山慈照寺(銀閣寺)の背後の東山丘陵上にあった山城です。【資料1、3~7】
将軍足利義輝、義晴親子により、天文18年(1549)10月に築城を開始し、天文19年(1550)2月に完成しました。しかし、同年11月に、三好長慶側の軍勢との争いで落城、焼失しました。
その構造について“尾さきをば三重に堀切て二重に壁を付て其間に石を入たり是は鉄砲の用心也”と記されており、鉄砲への備えがあることが文献から確認できます。【資料2、3、8、11】
現在は、土塁や堀切の跡などの遺構が残されています。【資料4~7、9~11】
- 回答プロセス
-
●京都の地誌を確認する。【資料1~3】
【資料1】“中尾城跡”の項あり。
【資料2】“慈照寺背後の山城、中尾城の概観”(『万松院殿穴太記』より)、“中尾城の補強工事が行われる”(『東寺百合文書』ゑ函より)。慈照寺の背後の山に築城したこと、また、その補強工事のあったことがわかる。
【資料3】“一名中尾城”とあり。
●キーワード“中尾城”で当館所蔵資料を検索するが、ヒットせず。
●キーワード“城跡×京都”、“城×遺跡”、“城郭”等で当館所蔵資料を検索する。【資料4~8】
中尾城跡の全体図などがあり、標高約280mの山頂から南北方向の尾根に遺構として郭群が残されていること、その南西に大山出城の遺構が残されていることがわかる。
●【資料1~7】の参考文献より、『万松院殿穴太記』【資料8】を確認する。
●【資料4、6~7】の参考文献より、『言継卿記』【資料9】を確認する。
●【資料7】の参考文献より、【資料10、11】を確認する。
【資料10】中尾城の築城から、落城、焼失に至る経緯が解説されている。中尾城跡の全体図あり。
【資料11】『洛中洛外の城館と集落』三-3「将軍「御城」の登場」、四-1「城郭遺構の特徴」の項で、戦国期の京都で複数の山城が築かれた時代背景について書かれており、中尾城についても触れられている。中尾城跡の全体図あり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本の建築 (521 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『日本歴史地名大系 27』(平凡社1979)p71“中尾城跡”
- 【資料2】『史料京都の歴史 8』(京都市/著 平凡社1979)p202~203
- 【資料3】『新修京都叢書 第19巻』(野間 光辰/編、新修京都叢書刊行会/編著 1968)p495“如意嶽城跡”
-
【資料4】『京都府中世城館跡調査報告書 第3冊』(京都府教育庁指導部文化財保護課/
編 京都府教育委員会2014)p261~263“中尾城跡” - 【資料5】『日本城郭大系 11』(新人物往来社 1980)p53~54“中尾城”
- 【資料6】『図解近畿の城郭 1』(中井 均/監修、城郭談話会/編 戎光祥出版 2014)p92“中尾城”
- 【資料7】『近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編』(仁木 宏/編、福島 克彦/編 吉川弘文館 2015)p194~195“中尾城”
-
【資料8】『群書類従 第29輯』(塙 保己一/編纂 続群書類従完成会 1979)p405
、p408 - 【資料9】『言継卿記 第3』(山科 言継/著、国書刊行会/編纂 続群書類従完成会 1998)p105天文19年(1550)11月21日の条あり。
- 【資料10】『戦国時代の貴族 『言継卿記』が描く京都』(今谷 明/著 講談社 2002)p172~179“中尾城”
- 【資料11】『中世都市研究 12』(中世都市研究会/編集協力 新人物往来社 2006)p232~239
- キーワード
-
- 中尾城
- 中尾城跡
- 城跡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328024