レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 秋田市立中央図書館明徳館 (2310025) | 管理番号 (Control number) | 2003122403 | ||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2023年01月26日 | 登録日時 (Registration date) | 2023年01月26日 12時56分 | 更新日時 (Last update) | 2023年01月27日 10時58分 | ||||
質問 (Question) | 佐竹氏に嫁いだ月鏡院(智照院)の①生没年②人となり③埋葬先について知りたい。 | ||||||||
回答 (Answer) | [回答]※()内の数字は当館の資料番号 ①生没年 ③埋葬先 「新編 佐竹氏系図」 原 武男/編 加賀谷書店 1973.7(110539293)p87~88に生没年と埋葬先の記載あり。(生地・名前・両親の名前も記述あり) ②人となり 今回の調査において記載のある資料は見つけられなかった。 【紹介した資料】 「新編佐竹氏一門・系図〈稿〉 苗字家を除く」 渡邉 喜一/編著 東洋書院 2004.10 「新編 佐竹氏系図」 原 武男/編者 加賀谷書店 1973.7(110539293) 「佐竹家譜 第二十九世義和-第三十世義厚 下」原 武男/校訂 東洋書院 1989.8(110853827) 「佐竹史探訪」 土居 輝雄/著 秋田魁新報社 1997.9(111689378) 「佐竹氏を支えた女たち」 伊藤 武美/著 秋田・歴史を楽しむ会 2006.12(112065529) 「秋田・天徳寺史」前田 亮雄/編 天徳寺 1994.5(111266094) 「秋田魁新報」※マイクロフィルム(1998年3月11日 朝刊21面)「佐竹宗家の墓、天徳寺へ 東京総泉寺から移転」 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | ●自館資料の調査 「秋田人名大事典」秋田魁新報社/編 第2版 秋田魁新報社 2000.7(111862041) 「秋田人名大事典」 秋田魁新報社/編者 秋田魁新報社 1974.8(111734315) 「秋田大百科事典」 秋田魁新報社/編者 秋田魁新報社 1981.9(112168083) 「秋田市史 第17巻(索引)」 秋田市/編集 秋田市 2006.3(112092457) →月鏡院・智照院とも記載なし 「新編佐竹氏一門・系図〈稿〉 苗字家を除く」 渡邉 喜一/編著 東洋書院 2004.10 →付録「佐竹氏関連人物・法名一覧」p415下段に「月鏡院珠顔貞容 大姉 佐竹義厚後室」とあり没年号月日に「天保13・8・8」年齢「24」とある。 同資料p430上段に「智照院殿寂室慧観 大姉 佐竹義厚後室 総泉寺(月鏡院を見よ)」没年号月日に「天保13・8・8」年齢「24」とある。 これを受けて佐竹義厚(さたけよしひろ)を中心に再度確認。 「新編 佐竹氏系図」 原 武男/編者 加賀谷書店 1973.7(110539293) →p87~88 佐竹義厚の「後の妻」として「月鏡院珠顔貞容大姉(総泉寺別名 智照院殿寂室慧観大姉)」と紹介。生年・生地・名前ならびに埋葬先の記載があった。 「佐竹家譜 第二十九世義和-第三十世義厚 下」原 武男/校訂 東洋書院 1989.8(110853827) →p1248~1249「(七月)十八日 鳥取候伯母素子我藩邸に入輿し、婚儀を行ふ。(式、其記に詳なり)」から「(八月)十日 夫人病にて下谷の邸に薨ず(実は八日薨ずと雖も故有りて今日とす。後本日八日に覆す)」とあり、八月十六日、十七日、二十日、九月十三日、二十七日にも葬儀・埋葬に関わる記述がある。 「佐竹史探訪」 土居 輝雄/著 秋田魁新報社 1997.9(111689378) →p191~192 佐竹義厚と「因幡国鳥取三十二万石城主池田斉稷の女素(ただ)と婚儀があった」ことと当時の佐竹氏と池田氏と縁を結ぶことについての所感があり、婚姻の様子については上記の「佐竹家譜」からの引用で紹介されている。 →p324~327 総泉寺(東京)について記載あり。「江戸屋敷で死去した藩主・正室・側室・子供たちを葬った佐竹氏の菩提寺である。」とある。また、秋田の天徳寺で本葬が行われること、法名が天徳寺と総泉寺で違うこと、その場合総泉寺のものを仮諡(かりおくりな)と言ったこと、江戸時代のおおよその住所と現在の住所などの記述がある。 「佐竹氏を支えた女たち」 伊藤 武美/著 秋田・歴史を楽しむ会 2006.12(112065529) →p112には「天保十三(一八四二)年七月十八日来嫁し、翌八月の八日に急病死した。正味二十一日間だけの義厚夫人であったが、国本・天徳寺において、普通と変わらぬ葬儀を厳修している。」とあるが、人となりについての記載はなし。 「佐竹家歴代事略」 狩野 徳蔵/著 秋田県師範学校 1931.(110238854) →p35に「同十三年壬寅七月十八日松平因幡守齋訓姉素子ヲ娶リテ後夫人ト為ス八月八日病没ス総泉寺ニ葬リ爪髪ヲ天徳寺ニ葬ル」とある。国立国会図書館のデジタルコレクションから確認できる。 URL https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000435148-00 「秋田・天徳寺史 通史年表・各世代表」 前田 亮雄/編 天徳寺 1994.5(111266094) →p372には「(天保十三年)八月八日 藩主義厚の継室江戸藩邸において没す。総泉寺に葬る。」「九月十三日 藩主義厚の継室の爪髪が八月二五日江戸を出発し天徳寺に到着し葬礼を執行する。」とあり、導師ならびに天徳寺と総泉寺両方の法名が記載されている。出典は「新編佐竹氏系図」。年表は1993年までとなっている。 「あきたの寺 完全保存版」 秋田魁新報社/編 秋田魁新報社 201.9(11229850) →p10に天徳寺の概略・住所・電話番号・地図(略図)が紹介されている。 ●秋田県立図書館webサイトでの検索 検索ワード「月鏡院」「智照院」「素姫」 →該当資料なし ●秋田県立図書館デジタルアーカイブスでの検索 検索ワード「月鏡院」「智照院」「素姫」/「すべての施設から」に設定 ※すべて秋田県公文書館所蔵資料。オンライン上では見出しと年代の確認のみ。秋田県公文書館の利用はリンク先参照。 URL https://www.pref.akita.lg.jp/pages/genre/kobunsyo 【月鏡院】 1「佐竹月鏡院様墓碑銘」 2「月鏡院様御爪髪御着棺御埋葬御式御手続 写」 3「須田宛 天徳寺御香奠請留」→備考に「包紙(宏徳院様月鏡院様御取纏御法事ニ付~御香奠受留弐枚入)あり」 4「須田宛 天徳寺御香奠請留」→備考に「包紙(月鏡院様御一周御忌御法事ニ付~御香奠請留壱枚入)あり」 【智照院】 1「智照院様従御病中之御記録」(天保13) 2「智照院様御逝去御記録 全」(天保13~14) 【素姫】 1「素姫様御婚礼御記録」(天保12~13) 2「素姫様御婚礼御記録」(天保11~13) 【総泉寺】/「すべての施設から」に設定 ※すべて秋田県立図書館所蔵。オンライン上では見出しの確認のみ。秋田県立図書館の利用はリンク先参照。 URL https://www.apl.pref.akita.jp 1(秋田魁新報記事見出し検索)「佐竹氏探訪87 第7部 江戸屋敷 総泉寺 藩主 正室らを葬る」(1997年2月14日 朝刊17面) →自館所蔵のマイクロフィルムで確認。上記「佐竹氏探訪」と同内容。 2「秋田県人雑誌」昭和9年6月(6月号) 3(秋田魁新報記事見出し検索)「佐竹宗家の墓、天徳寺へ 東京総泉寺から移転」(1998年3月11日 朝刊21面)→自館所蔵のマイクロフィルムで確認。移転の経緯などについてまとめられている。月鏡院についての記載はなし。 ●国立国会図書館webサイトでの検索 検索ワード「月鏡院」→佐賀県立図書館の人名データベースの参考情報として「佐賀県近世史料第1編第8巻」がヒットする 「智照院」→熊本県の「智照院細川家墓所」に関連する資料がヒットする 「素姫」→著者名「金素姫」の資料がヒットする ●鳥取県立図書館webサイトならびに鳥取県の図書館横断検索 検索ワード「月鏡院」「智照院」→「群書類従」がヒットする 「素姫」→「芥川龍之介全集」がヒットする それぞれ単語としての「月鏡院」「智照院」「素姫」の該当はなし | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | |||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000327964 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |