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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
京都市図書館 (2210023)管理番号
(Control number)
右中-郷土-160
事例作成日
(Creation date)
2023/1/25登録日時
(Registration date)
2023年01月25日 15時18分更新日時
(Last update)
2023年03月23日 12時42分
質問
(Question)
衣笠球場(京都)について知りたい。できれば写真を見たい。
回答
(Answer)
 衣笠球場は京都府京都市北区(当時は上京区)の等持院にあった球場で、正式には立命館衣笠球場といいます。昭和23年(1948)9月15日に竣工しました。立命館大学の球場でしたが、戦後の資材難の中、一般開放を前提として丸太の配給を受けて建設されました。総工費1200万円、周囲のスタンドは20段ありました。【資料4】【ウェブサイト1、3】
 昭和24年(1949)2月に衣笠球場をホームグラウンドとして、京都新聞とプロ野球の「大陽ロビンス」がフランチャイズ契約を結びました。公式なフランチャイズ契約は1年間のみでしたが、昭和26年(1951)までプロ野球の公式戦が行われていました。【資料10、18】【ウェブサイト1、2】
 
 昭和27年(1952)3月には、一般の利用を禁止し、学校専用になりました。これは、前年8月に名古屋の中日スタジアムで球場が全焼する火事があり、それ以来市消防局や建設省から球場設備について整備するよう通告があったためです。【資料5、9】【ウェブサイト1~3】
ただし、この決定の後も、少なくとも京都市の中学校野球の大会においては昭和28年(1953)まで、京都府の高校野球の大会においては昭和32年(1957)頃までは使用されていたようです。【資料13~17】【ウェブサイト1】
 その後、昭和42年(1967)頃閉鎖され、昭和44年(1969)頃までに取り壊されました。【資料9】【ウェブサイト1、2】

 現在、立命館大学衣笠キャンパス正門の一筋東側の道に立つ電柱には「衣笠球場」と書かれた電柱番号札が取り付けられています。【資料9】【ウェブサイト2】令和2年(2020)9月にはキャンパス内の地面にホームベースのあった場所を示す記念プレートが埋められました。【資料9】【ウェブサイト1~3】
 また、令和4年(2022)7月には、日本野球150年の記念事業「日本野球聖地・名所150選」に選ばれています。【ウェブサイト3】

 【資料7】では昭和32年(1957)、昭和38年(1963)の学舎配置図があり、球場の学内での位置が分かります。

 下記の資料には写真があります。
【資料1】p111“衣笠球場(現衣笠キャンパス、体育館、学生会館、存心館、中央グラウンド)”、p125“経済・経営学部が移転する前の衣笠学舎”
【資料2】p32“昭和28年 衣笠球場での応援風景”、p33 “昭和27年春 衣笠球場での応援風景”(どちらも応援団のアップのため、球場の様子は写っていません)
【資料3】p653 “衣笠球場”
【資料6】巻頭“50年代の等持院(衣笠)キャンパス”
【資料8】p214“衣笠球場に満員の観衆を集めて行われたプロ野球の試合 1951年”
【資料11】“新装なった立命球場”(ネガフィルムのため、かなり不鮮明です)
【資料12】“一般試合は閉出しをくった衣笠球場”(【資料8】と同じ写真)
【資料17】p21“当時の衣笠球場”
【資料19】p100“衣笠球場で行われた大陽フランチャイズ記念試合、大陽対中日”
回答プロセス
(Answering process)
●キーワード“立命館”で自館資料を検索・・・【資料1~7】
●自館郷土資料(NDC216)より、写真の掲載の多い資料をブラウジング・・・【資料8】 
●データベース『朝日新聞クロスサーチ』キーワード“衣笠球場”より・・・【資料15】
●キーワード“京都新聞”で自館資料を検索・・・【資料16】
●【資料4、5】より、京都新聞マイクロフィルムを確認・・・【資料17・18】
●キーワード“野球”“球場”で自館資料を検索【資料13~19】
●キーワード“衣笠球場”でインターネットGoogle検索【ウェブサイト1~3】
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
球技  (783 9版)
近畿地方  (216 9版)
大学.高等.専門教育.学術行政  (377 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】『この歩み、立命館』(立命館大学父母教育後援会 1994)p111、125
【資料2】『栄光の軌跡立命館大学応援団創団五十周年 記念誌』(立命館大学応援団記念誌編集部 2000)p32、33
【資料3】『立命館創立五十年史』(立命館五十年史編纂委員会/編 立命館大学五十周年記念事業局 1953)p650~652
【資料4】『立命館百年史資料集 第1集』(立命館百年史編纂室/編集 立命館百年史編纂委員会 1993)p201
【資料5】『立命館百年史資料集 第2集』(立命館百年史編纂室/編集 立命館百年史編纂委員会 1993)p24、125、126
【資料6】『立命館百年史 通史2』(立命館百年史編纂委員会/編集 立命館 2006)巻頭、p225~235、巻末年表
【資料7】『立命館八十五年史資料集 第6集』(立命館史編纂委員会 1988)p195、197
【資料8】『写真でみる京都100年』(京都新聞社 1984)p214
【資料9】『朝日新聞』2022年1月23日朝刊17面 “古都ぶら 衣笠かいわい(北区)”
【資料10】『京都新聞九十年史』(京都新聞社 1969)p67
【資料11】『京都新聞マイクロフィルム』1948年9月19日朝刊
【資料12】『京都新聞マイクロフィルム』1952年3月4日朝刊
【資料13】『京都社会人野球大会50回史』(石割宏和/編集 京都社会人野球連盟 1973)p22、27
【資料14】『平安野球部100年史』(平安高等学校野球部史編纂委員会 1985)p156~215
【資料15】『京都高校野球史2 第1巻』(京都府高等野球連盟 1987)p124~190
【資料16】『京都高校野球史2 第2巻』(京都府高等野球連盟 1987)p16~110
【資料17】『京都市中学校野球50年史』(京都市中学校野球五十周年記念事業実行委員 1997)p20~28
【資料18】『地方紙と業界紙から探る戦後京都のプロ野球興行』(若林 正博/著 2016)
【資料19】『昭和プロ野球「球場」物語』(洋泉社 2013)p99~100、124、126~127
【ウェブサイト1】立命館 史資料センター 立命館あの日あの時 <学園史資料から>衣笠球場ものがたり
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=43 (令和5年1月23日確認)
【ウェブサイト2】【球跡巡り・第20回】京都にプロ野球チームがあった? 立命館衣笠球場
https://npb.jp/news/detail/20190726_01.html (令和5年1月23日確認)
【ウェブサイト3】聖地・名所150選 京都府 立命館衣笠球場跡
https://japanesebaseball150th.jp/sights/detail074.html (令和5年1月23日確認)
キーワード
(Keywords)
衣笠球場
立命館大学
球場
野球
大陽ロビンス
松竹ロビンス
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000327902解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決

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