レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 広島市立中央図書館 (2210016) | 管理番号 (Control number) | 中央-郷-2022-0006 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2022/12/27 | 登録日時 (Registration date) | 2022年12月27日 13時04分 | 更新日時 (Last update) | 2023年02月01日 16時42分 | |||||||||
質問 (Question) | 「原爆スラム」と呼ばれた中央公園東側あたり(川から基町アパート・市民球場あたり)の範囲がわかる資料をみたい。その住宅のなかに「セット住宅」と呼ばれるものがあったらしく、その建材について知りたい。 | |||||||||||||
回答 (Answer) | 調査の結果、「原爆スラム」と呼ばれていた地区の説明と位置図やセット住宅について記載された資料①~⑨が見つかりました。資料⑨はセット住宅の記載はありませんでしたが、その当時建てられた公的住宅の建材について触れられていました。 | |||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1.自館所蔵資料を「原爆スラム」のキーワードで検索したところ、以下の資料が見つかりました。 ①『原爆スラムと呼ばれたまち ひろしま・基町相生通り』 石丸 紀興/著 千葉 桂司/著 矢野 正和/著 山下 和也/著 あけび書房 2021年 p.20-21「2 原爆スラムと呼ばれたまち」に、「図0-1 位置図(広島のデルタと基町相生通り)」「図0-2 河岸の不法建築分布(『広島被爆40年史』4・46)」の記載がありました。 p.37「3 被爆から立ち上がる基町-一大応急住宅を市民に提供したまち」に「セット住宅」についての記載がありました。 p.40「…まず住宅営団が、1946(昭和21)年頃に西練兵場の片隅に、124戸の「セット住宅」を完成させる。」の記載がありました。 p.190「図E-3 住宅営団によるセット住宅の平面図例」(『世界平和記念聖堂』)相模書房出版)の記載がありました。 2.資料①から、以下の資料を確認しました。 ②『世界平和記念聖堂 広島にみる村野藤吾の建築』 石丸 紀興/著 相模書房 1988年 p.29「一九四六年を迎え、…当時、住宅営団が、組立式の住宅、いわゆるセット住宅を分譲した。バラックといってよいほどの粗末なもので、屋根は…」の記載と「2-4 セット住宅の平面図」の記載がありました。 p.30写真「2-5 2戸分のセット住宅(1964年3月頃撮影、記念聖堂提供」の掲載がありました。 ③『都市の復興 広島被爆40年史』 広島都市生活研究会/編 広島市企画調整局 1985年 p.108「基町の状況と再開発計画」の「5-1河岸の不法住宅⑴」に写真と説明「太田川本川の左岸沿いに、相生橋東詰から、三篠橋東詰まで、約1.5mにわたって密集住宅地を形成していて、そこは相生通りとも原爆スラムとも呼ばれた…」の記載がありました。 p.109「5-7 基町地区の公的住宅建物分布図(1949年)」の図と説明「住宅営団は、セット住宅と称する7坪の住宅267戸を含む743戸を1946年度中に建設した…」の記載がありました。 3.書棚を確認したところ、以下の資料が見つかりました。 ④『基町 広島平和記念資料館2012年度(平成24年度)第1回企画展』 広島平和記念資料館学芸担当/〔編〕 広島平和記念資料館 2012年 p.10「急ごしらえの住宅」に「住宅営団が建設した743戸のうち『セット』と呼ばれた267戸は、1戸あたり7坪程度で、屋根は鉄板張り、天井を設けない応急的なものでした。」の記載と「基町地区の公的建物分布図」の記載がありました。 ⑤『広島新史 都市文化編』 広島市/編 広島市 1983年 p.119「表2-1-1 基町相生通り関連年表」に「昭和21年 住宅営団も、セットと称する7坪のバラック267戸を建設」「35年頃相生通り900戸に及び、相生通りの全体形が形成される」「38年頃『原爆スラム』の呼称がつけられる」の記載がありました。 ⑥『広島県史 原爆資料編』 広島県/編 復刻 広島県教科書用図書販売 1987年 p.734 「Ⅱ広島の再建」の項に「…三月には三百八十五戸このほかに西練兵場の片隅に住宅営団の建てた百二十四戸のセット住宅街が完成するなど建設の槌音が響きわたった。…」の記載がありました。 ⑦『広島市公文書館紀要 第29号』 広島市公文書館/編 広島市公文書館 2016年 「口絵1『基町/相生通り』の街並み(昭和40年7月撮影)」、「口絵2対岸から望む『基町/相生通り』地区と中層アパート・建築中の高層アパート(昭和45年3月撮影)」の写真が掲載されていました。 p.1「基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する〈前編〉」に「1)『原爆スラム』と呼ばれる街があった(原爆スラム略史)…」「図1位置図」の記載がありました。 ⑧『広島市被爆70年史 あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日』 被爆70年史編修研究会/編 広島市 2018年 p.302「第2章 復興のつち音」「第3節基町を中心とする公園・緑地・住宅計画」の項「2基町地区における住宅建設」に「…また同じ頃、住宅営団による「住宅セット」(販売用の建築部材一式)を使って124戸が旧西練兵場の片隅に完成した…。」の記載がありました。 ⑨『〔広島市〕戦災復興事業誌』 戦災復興事業誌編集研究会/編,広島市都市整備局都市整備部区画整理課/編 広島市都市整備局都市整備部区画整理課 1995年 p302「4 基町地区再開発事業 ⑴再開発事業に至るまでの状況 基町不良住宅地区の生成」に「…戦後の資材不足の中で、短期間にできるだけ多くの戸数を建てる必要に迫られてた公的住宅は、外壁は垂木材に下見板張りしたパネル張り、屋根は鉄板張り、天井は…」の記載がありました。セット住宅の記載はありませんでしたが、公的住宅の建材について記載がありました。 以下の資料では、確認できませんでした。 ・『原爆スラム調査レポート』 大藪 寿一/著〔出版社不明〕〔196-〕 ・『戦後広島の都市診断 社会学的・社会病理学的立場から』 林 雅孝/〔ほか〕編著 ミネルヴァ書房 1991年 ・『建築雑誌 1950年9月』 日本建築学会 1950年 ・『基町地区再開発事業の概要』 広島県/編,広島市 共編 広島県 1971年 | |||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||
NDC |
| |||||||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| |||||||||||||
キーワード (Keywords) |
| |||||||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000326494 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |