レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 県立長野図書館 (2110021) | 管理番号 (Control number) | 県立長野‐22‐145 | |||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2022年11月22日 | 登録日時 (Registration date) | 2022年11月25日 15時48分 | 更新日時 (Last update) | 2022年12月04日 21時50分 | |||||
質問 (Question) | 幕末の長野県須坂市の医者板倉雄碩の息子(養子)である板倉信哉について知りたい。 | |||||||||
回答 (Answer) | 『須坂市史』 須坂市史編纂委員会編 須坂市 1981【N214/50】p.561-613に、「議会政治の始まり」の節があり、この記述中に板倉信哉の名前が散見される。 明治15年、中村三折らと「上高井振起会」を発足、政治研究を目的に活動、演説会などを開催。 明治15-17年、立憲改進党に入党。 明治21年3月元老院へ建白書が提出された際も、署名者の中に「須坂町 板倉信哉」がみられる。 明治21年12月「条約改正断行ヲ請ウ建白書」提出。 明治22年 須坂町会開設。二級選挙制で町会議員になる。 などの事項が読み取れる。 『須坂市史 第5巻』 須坂市史編さん室編 須坂市 2016【N214/119/5】 p.76-79にも、「自由民権運動」の項があり、同様の記述がある。 『長野県政党史 上巻』 丸山福松著 信濃毎日新聞社 1928【N315/3/1】 p.86-88に「上下高井郡の自由系と中村三折(上高井振起会)」があり、板倉信哉についての記述もあった。また、p.189から、「条約改正と信濃全国大懇親会(始めての南北信大会)」の様子が書かれており、出席者が列記された中に板倉信哉の名前が見られる(p.195)。 また、上記の「信濃全国大懇親会」については次の新聞でも報じられている。 ・『信濃毎日新聞』明治20年11月20日 第1面 「信濃大懇親会」 同日長野市城山館で午後1時から開催される旨の記事。 ・『信濃毎日新聞』明治20年11月22日 第1面 「信濃大懇親会の景況」 11月20日長野市城山館で行われた同会の様子が報じられている。 ・『信濃毎日新聞』明治20年11月23日 第1面 「信濃大懇親会の景況 [前号の続]」 同会の様子の続編として、宴会、演説、および参加者が報じられており、参加者一覧の中に 「板倉信哉」も記されている。 『長野県史 近代史料編 第3巻 1 (政治・行政 民権・選挙)』 長野県編 長野県史刊行会 1983【215.2/ナガ/2-3-1】p.196-199にも「明治二十年十一月 条約改正反対運動につき信濃大懇親会上水内郡長野町開催報道記事」上記記事が収録されている(新聞紙面ではなく記事本文のみ)。また、p.215-217にかけて、「明治二十二年十二月 上高井郡須坂町外五か村有志総代板倉信哉等条約改正断行建白書」が収録されている。 『長野県史 近代史料編 第2巻 3 (市町村政)』長野県編 長野県史刊行会 1984 【215.2/ナガ/2-2-3】 p,762に「明治二十二年五月 上高井郡須坂町町長並助役選挙会議事録」が掲載されており、出席議員名に「七番 板倉信哉」がある。 | |||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 『長野県歴史人物大事典』 赤羽篤編 郷土出版社 1989【N283/13】p.57「板倉雄碩」はあるが、信哉についての記載は確認できない。『角川日本姓氏歴史人物大辞典20』 角川書店編・刊 1996【288.1/カド/20】p.666-667「板倉氏」はあったが、須坂市の板倉氏についての記載は確認できなかった。 2 利用者の調査済み資料を確認する。「須坂市の歴史年表」から、医者というよりも政治活動をしていたように思える。 3 当館蔵書を「板倉信哉」で検索する。ヒットなし。 4 所蔵する郷土史雑誌について「板倉信哉」で記事検索をする。ヒットなし。 5 「CiNii research」「NDLサーチ」、長野県内図書館横断検索サービス「信州ブックサーチ」で「板倉信哉」で記事検索をする。ヒットなし。 6 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で「板倉」「信哉」などで検索する。当該人物と思われる見出しがついた記事はヒットしない。「須坂市の歴史年表」の当該部分の日付周辺の記事を調べる。「信濃全国大懇親会」についての記事から自由民権運動にかかわっていたことがわかる。建白書提出に関する記事は確認できなかった。 7 『須坂市史』の旧版、新版ともに、自由民権運動にかかわる部分を調べる。 8 郷土分類N314(長野県の政党)の書棚で『長野県政党史 上巻』を調べる。 9 「信州デジタルコモンズ」「NDL デジタルコレクション」を「板倉信哉」で検索する。 『長野県史 近代史料編 第2巻 3 (市町村政)』長野県編 長野県史刊行会 1984 【215.2/ナガ/2-2-3】 『長野県史 近代史料編 第3巻 1 (政治・行政 民権・選挙)』 長野県編 長野県史刊行会 1983【215.2/ナガ/2-3-1】 『長野県史 近代史料編 第8巻 2 (社会 衛生・防災)』 長野県編 長野県史刊行会 1987【215.2/ナガ/2-8-2】(この巻のみ掲載箇所不明) がヒット。国立国会図書館内限定のため、ヒットした個所の特定はできなかった。所蔵資料で内容を確認する。 10 NDL 次世代デジタルライブラリーで「板倉信哉」を検索すると、『淡窓全集 下巻』 日田郡教育会編・刊 1927 がヒットする。「入門簿(自安政四年丁辰巳正月十二日至文久二年壬戌六月十八日)」p.113に「板倉信哉」が見えるが、年齢、板倉生鶴忰とあることから当該人物とは異なると思われた。[最終確認11.27] 入門年月日:万延二年酉三月廿六日 住所 :三州碧海郡和泉村 年齢 :板倉生鶴忰十六才 紹介者 :釋惠證 <調査資料> 『長野県人名鑑』 信濃毎日新聞社開発局編 信濃毎日新聞社 1974【N280.3/32】 『野辺町区誌』 野辺町区誌編纂委員会編・刊 1998【N214/86】 『須高百話』 北沢邦夫編 須坂新聞社 1988 【N214/45】 『筆塚竝先人冢墓調』 上高井郡教育会編・刊 1933【N214/22】 須坂町の項目のうち、「板倉雄碩墓」[p.2](頁付けなし)のみ 『立憲改進党々報』 立憲改進党党報局 第1号-第11号(1892.12-1893.6)(復刻版) 『長野県の選挙 明治-平成』信濃毎日新聞社出版部編 信濃毎日新聞社 1991【N318/274】 | |||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 西川玄「御殿医板倉雄碩と西川東玄;医術家としての象山をめぐる」『高井』第21号 1972 p.22-30 『須坂市人物誌』須坂市人物誌編集委員会編 須坂市 1966 【N214/31】p.206-207「板倉雄碩」 須坂市の歴史年表 明治時代[最終確認11.27] 1887(明治20)11月20日 「長野町城山館で信濃全国大会が開かれ、山下八右衛門・中村三折・板倉信哉・勝山直久らが出席する。」 1889(明治22)12月 5日 「板倉信哉・青木芳郎らが条約改正の断行を要求する建白書を提出する。」 | |||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 人物 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||
登録番号 (Registration number) | 1000324644 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |