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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
綾川町立図書館 (2400013)管理番号
(Control number)
郷土71
事例作成日
(Creation date)
2022.9.30登録日時
(Registration date)
2022年09月30日 12時01分更新日時
(Last update)
2023年09月22日 12時56分
質問
(Question)
香川県綾歌郡綾川町山田下にある綾川町ふるさと資料館で瓦の出土品を見た。その多くが綾川町陶から出土したもののようだが、その地域では現在も瓦を焼いているのか。焼いていなければその窯跡はあるか。また、瓦の歴史がわかる資料はあるか。
回答
(Answer)
綾川町陶の十瓶山(とかめやま)周辺地域では奈良時代から室町時代にかけて窯業が盛んであり、須恵器と瓦が主に生産されていた。町内には106基の窯跡がありその大部分は陶に所在する。現在も瓦が生産されているかは不明である。ふるさと資料館は綾川町教育委員会の管轄である。
以下の所蔵資料に記載あり。
『綾南町誌』 綾南町誌編纂委員会/編 綾南町 1998.3
 P.142~165 綾川町の窯業生産についての記載あり。7世紀中ごろには須恵器を生産していたが、陶窯跡群での瓦生産の開始時期は明確ではないとのことである。11世紀になると窯の数が減少し須恵器生産が一時衰退して、壺・瓶・鉢が生産の主体となり、西村二号窯跡では瓦が焼かれるようになった。12世紀頃から須恵器生産と瓦生産が急激に拡大し、陶窯跡群で生産された瓦が盛んに近畿地方に運ばれ、平安京など多くの寺院に用いられるようになる。これらの瓦が生産されたのは「ますえ畑瓦窯跡群」「藤棚瓦窯跡群」「丸山瓦窯跡群」「北条池西の浦瓦窯跡群」「内間瓦窯跡群(庄屋原瓦窯跡群)」「北条池(北畔)瓦窯跡」などである。13世紀に窯業は再び衰退し、火ノ山の西麓に「かめ焼き谷二号・三号窯跡」が知られているのみとのことである。7世紀中頃から600年以上続いた陶窯跡群での生産は14世紀前半の鎌倉時代末期にはほぼ終了したようである、との記載あり。
 P.164,165に町内の遺跡分布図の収録あり。上記の窯跡のうち「ますえ畑瓦窯跡群」「丸山瓦窯跡群」「北条池(北畔)瓦窯跡」の所在地がわかる。
P.690,691「国際交流」の項の「第一回企業研修生」のリストを見ると、平成6年(1994)から1年間ほど高松セラミック(所在地は綾川町陶)という企業が瓦製技術の研修生を2人受け入れたことがわかる。RNC西日本放送のルックという番組のHP https://www.rnc.co.jp/tv/look/?p=2566で平成30年11月4日にこの企業を取り上げた時の内容が掲載されており「設立は1963年で粘土瓦の生産で創業したが、生活スタイルの変化に伴う瓦需要の減少を背景に現在は工事業に特化」とあり、現在の企業HPを見ても瓦屋根・外壁の工事の他、太陽光発電システムの設置を主に行っており、瓦の製造はしていないようである。
 P.736 「ますえ畑瓦窯跡群」についての記載あり。
 P.927~929 「第4章諸職」の項に「瓦焼き」についての記述あり。陶猿王北では昭和40年頃まで瓦を焼いていたとの記述がある。終戦後はコタツを焼く人もいたが瓦屋はずっと瓦を焼いていたとのことである。戦前の瓦の作り方が紹介されている。
『讃岐ものしり事典 合冊改訂版』 香川県図書館協会/編 香川県図書館協会/発行 1982.4 P.234,235 「ますえ畑窯跡について」の項あり。

Webにて香川県埋蔵文化財センター考古学講座の資料「丸山窯跡群再考」にて十瓶山窯跡群分布図が見られる。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/15239/30-4maruyama1.pdf

瓦の歴史については以下の所蔵資料に記載あり。
『一瓦一説 瓦からみる日本古代史』 森 郁夫/著 淡交社 2014.7
 P.16~19 崇峻天皇元年(588年)に百済から瓦博士が4人渡来し、技術をもたらしたとの記載がある。
『国史大辞典 3』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983.2
 P.751,752 東洋における瓦は紀元前3世紀ごろ、中国に始まったものが最古のものであるとのことである。日本で最初に屋根を瓦で葺いたのは、蘇我馬子によって飛鳥の地に寺院(飛鳥寺)が建立されたときに始まるとの記載あり。
『日本民俗事典』 大塚民俗学会/編集 弘文堂 1994.6
 P.177 造瓦の技術は仏教の伝来によって百済より伝授され普及したとの記載あり。
『日本民具辞典』 日本民具学会/編集 ぎょうせい 1997.5
 P.142 瓦は中国古代の戦国時代に出現し、日本へは飛鳥時代に百済より瓦博士が渡来してもたらされ、奈良の飛鳥寺が日本最古の瓦葺建造物であるとの記載あり。
『日本考古学辞典』 日本考古学協会/編 東京堂出版 1978
 P.116,117 古くは竹を二つ割りにして葺いたともいわれ、ヨーロッパでも瓦は見られるが最も発達したのは中国であった。中国での瓦の起源は春秋頃といわれ戦国に至って普及し、秦より漢に至って大成したと言われている。日本には588年、正式に百済より来朝した瓦博士麻奈父奴・陽貴文・昔麻帝弥によって伝えられ飛鳥寺の建立に携わったが、これより先の577年に百済より寺工達が来朝していることから、この頃すでに国内で造瓦が始められていたと思われるとの記述がある。
『瓦が語る日本史 中世寺院から近世城郭まで』 山崎 信二/著 吉川弘文館 2012.7
 P.1 日本の瓦生産は西暦588年に朝鮮半島百済から瓦博士が派遣されて始まり、蘇我氏主導で造営された飛鳥寺の建物の屋根を瓦で葺いたとある。内容は中世の瓦生産についての記載が中心である。
回答プロセス
(Answering process)
綾川町の「ふるさと資料館」は綾川町役場綾上支所(香川県綾歌郡綾川町山田下2224番地)の2階にある。収蔵品については図書館の方では把握しておらず、利用者の質問に答えることができないため、綾川町教育委員会へ問い合わせていただくようお伝えした。窯跡については町誌に掲載されているものを調べた。町内で現在も瓦を製造している店舗があるのかについては、インターネットで検索してみた限りでは見つからず不明である。窯跡は綾川町が解説の看板を設置し、見れるようになっている所もある。「ますえ畑瓦窯跡」は立て看板の説明は設置されているが窯跡は見えないようになっている。近くの綾川町総合運動公園内には「すべっと窯跡」が自由に見られるようになっている。その他の窯跡については未確認である。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
四国地方  (218)
日本史  (210)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
陶窯跡群
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介 事実調査 所蔵調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000321901解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決

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