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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
県立長野図書館 (2110021)管理番号
(Control number)
県立長野-22-111
事例作成日
(Creation date)
2022年08月25日登録日時
(Registration date)
2022年09月19日 16時34分更新日時
(Last update)
2022年09月27日 21時12分
質問
(Question)
江戸時代に小諸商人が、白根山の硫黄を新潟方面へ売りさばいていた流通経路について知りたい。関所を通らない抜け道を使っていたのではないか。
回答
(Answer)
『小諸市誌 歴史編3 近世』 小諸市誌編纂員会編 小諸市教育委員会 1991【N222/43/2-3】 p.535-537に、硫黄の売り捌人となった小諸城下荒町の柳田五兵衛と上州白根山御請負人政五郎との取り決め証文の翻刻が掲載されている。
 また、p.553-559に一般的な交通制度についての記述がある。信越両国間の流通の項があり、越後の高田藩が起点として発達したことが記されている。越後との交易について書かれてはいるが、硫黄について特に触れている部分は確認できない。また、これに続いて、中馬や街道の記述があるが、硫黄の越後への販路は記されてはいない。
 p.587-647では街道の成立について書かれおり、p.596-596には、越後からの荷として、佐渡の相川を出立した上納銀が江戸に着くまでの経路、継立などの覚書の一部が記載されている。しかし、これは当然のことながら、抜け道を利用したものではない。p.598-596には、大笹街道の整備について触れている箇所があるが、硫黄荷についての記述は確認できない。

 長野県内と群馬県をつなぐ道、新潟県をつなぐ道については、『歴史の道調査報告書』 長野県教育委員会編・刊 が刊行されている。このうち依頼と関係すると思われるつぎの資を紹介した。
・『歴史の道調査報告書I-V』 長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1984
      (長野県教育委員会発行のものを合冊製本して復刊)
  「北國街道」「富倉道」が収録されている。
・『歴史の道調査報告書VI-X』 長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1982
      (長野県教育委員会発行のものを合冊製本して復刊)
  「飯山道」が収録されている。
・『歴史の道調査報告書XXIII-XXIX』 長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1990
      (長野県教育委員会発行のものを合冊製本して復刊)
  「富倉道」「草津道」「三原道」「保科道」「毛無道」が収録されている。
・『歴史の道調査報告書XXXIV-XLI』 長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1996
      (長野県教育委員会発行のものを合冊製本して復刊)
  「谷街道」が収録されている。

 『高山村誌 第2巻 歴史編』 高山村誌編纂委員会編 高山村誌刊行会 2005 【N214/99/2】p.355-364に高山村内を通る道について、「灰野峠・灰野道・三原道」「小布施道」「須坂道・善光寺道」「間山峠・大熊峠・桜沢峠」「菅・湯田中道」「毛無峠・上州道」「山田峠越え草津道」について、それぞれ記述があり、毛無峠については、特に干俣・門貝村に至る道筋で、「抜け道」として紹介している。また、上州への道として山田道、草津道も多く利用された記述がみられる。

 『須坂市誌 第4巻 歴史編』須坂市編さん室編 須坂市 2015【N214/119/4】p.2245-226に米子鉱山についての記述があり、硫黄山請負人の変遷や、江戸の小松屋藤吉の硫黄稼ぎの山の変遷について記述がある。また、売り捌き先が縮小していくことも書かれているが、越後への経路の記述は確認できなかった。
 p.231-232には、近隣の高山村の奥山田村の名主の硫黄稼ぎの例をあげている。これは、米子の硫黄を白根山へ売る、という経路のものだが、もとになった文書は山田温泉の大火で焼失したことが書かれている。
 p.272-286に、物資の流通について記述があり、特に谷街道について詳しく書かれているが、硫黄荷については書かれていない。p.285の「天保4年松代藩川船による商品と松代-福島間の運賃」の表があり、流通品目の一つに硫黄が見られる。ただし、松代-福島間の運賃のため、越後への商品というよりは、信州で消費されたものかもしれない。

 『米子硫黄鉱山史』 斎藤保人著 筑北炭田(西条炭)採掘史研究会 2012【N562/9】に、p.54-60にかけて、米子鉱山の硫黄の江戸時代の販路と価格が記されている。「硫黄荷売捌御吟味申上書」に、越後柏崎へ陸路で売ったという記述があった。
 続いて、「硫黄荷の抜荷」について、p.61-67に記述がある。大笹街道の抜け道として、1700年代に始まった「三原道・灰野村通り」を上げている。また、文化・文政期の例として、白根万座硫黄を沓野峠越で抜荷を行ったことが発覚した際の内済証文をあげている。この抜荷の背景として、上州川俣村の名主干川小兵衛について触れている。草津峠、渋峠など山越抜道が使われていたと書かれている。ただし、信州側に入ってきた硫黄が越後へどう運ばれたかは記載がなかった。

 『米子鉱山沿革誌 復刻版』 竹前本三郎著・刊 2007(1938年の復刻) 【N562/5】のp.35-37に、安永9年に米子村硫黄請負人源五郎が中之条御代官平岡彦衛にあてた文書の覚えが掲載されており、売り捌き先として「(-前略-)然処前には尾州名古屋甲州府中越後国柏崎町上州高崎辺へ陸地積け出し相成(-後略-)」とある。しかし、細かな販路についての記述は確認できなかった。

当館所蔵の郷土史の雑誌について、「硫黄」で記事検索してヒットした以下のものを紹介した。
・徳嵩雄司著「近世高井郡米子硫黄鉱山の研究」『信濃 第3次』 第22巻7号 
・徳嵩雄司著「硫黄山請負人と冥加金 ―近世高井郡米子硫黄鉱山の一考察―」
    『信州史学』第6号 p.31-45
・駒津通夫著「大笹街道抜道争論文書」『須高』 第2号 p.40-
・片桐昭著「米子硫黄山小史」『須高』 第5号 p.59-61
・中村哲夫著「塩野村硫黄差障出入一件に付いて」『須高』第7号 p.22-26
・竹前儀才治著「伝説特集・硫黄山の昔話」『須高』第12号 p.100-102
・竹前儀才治著「硫黄山物語と米子区の歩み(其の1)」『須高』第24号 p.86-91
・竹前儀才治著「硫黄山物語と米子区の歩み(其の2)」『須高』第26号 p.111-116
・山上邦茂著「米子硫黄鉱山の覚え書」『須高』第34号 p.125-130
      ※これは昭和になってからの鉱山について書かれたもの
・広瀬紀子「硫黄と竹前家古文書」『須高』第42号 p.40-51
・宮本四郎著「米子不動尊と旧硫黄鉱山」『とぐら』21号 p.34-38

 群馬県側の資料として次の2点も紹介した。
・『嬬恋村誌』嬬恋村誌編集委員会編 嬬恋村役場 1977【N250/58/1】
 p.943-948 上州での硫黄稼ぎについて、p.978-1001にかけては、吾妻郡と新州都を結ぶ道について記されている。それぞれの道について記されているが、硫黄荷については触れられていない。
・『草津温泉誌 第1巻』草津町誌編さん委員会編 草津町役場 1976 【N250/8】
 p.731-780に近世の硫黄稼ぎの記述がある。また、p.883-932に草津と信州を結ぶ道について記述がある。続くp.933-952は越後と草津をつなぐ三国峠、猿ヶ京の関所、秋山道についての記述があった。
 なお、p.888-899 白根の産物である硫黄を渋峠道で信州側へ運んだことが発覚した事件の文書が掲載されている。
回答プロセス
(Answering process)
1 『群馬県史 資料編11』を確認し、文書の書かれた年代、当該商人の名前等を確認する。文書は、万延元年(1860年)4月 信州小諸本町 恵助宛のものとわかった。

2 『小諸市誌 歴史編3』に「硫黄の売捌」の項目があった。ここには、上記のものよりも少し遡る文政5年(1822年)の文書が掲載されている。小諸荒町の硫黄問屋柳田五兵衛が売捌人となっている。また、「信越両国間の流通」の項目もあったが、主に北国街道についての記述となっている。

3 硫黄が採掘された白根山周辺から直接出荷されていたと考えると、硫黄は、信州を通らずに越後へ入ったか、現在の須坂市、高山村、山ノ内町の峠を越えて、信州側に入っていたと考えられる。依頼者は北国街道と大笹街道を除外しているので、『歴史の道調査報告書』で、これ以外の群馬県と長野県、長野県(飯山方面)と新潟県をつなぐ道をチェックする。通船の可能性もあるので、同報告書の「千曲川」も確認する。千曲川上流域である小諸からの利用はほとんどない。千曲川は、中流域から下流域にかけて通船が利用されていたようだ。

4 『高山村誌 第2巻 歴史編』『須坂市誌 第4巻 歴史編』を調べる。幕府、藩の規制にもかかわらず、それぞれの道が抜け道として使われていたことがわかる。しかし、越後への硫黄荷についての記載はない。『須坂市誌 第4巻 歴史編』には、通船の運賃表に硫黄があったが、これは、藩内での流通とみられる。

5 利用者から途中で連絡があり、米子鉱山(須坂市)からの出荷についても知りたいとのことから、『米子硫黄鉱山史』『米子鉱山沿革誌 復刻版』をみると、 「硫黄荷売捌御吟味申上書」に、越後柏崎へ陸路で売ったという記述や、白根万座硫黄を沓野峠越で抜荷を行ったことが発覚した際の内済証文などがあった。しかし、関所を回避するため、どのような道を通ったかの記述は確認できなかった。

6 当館所蔵の郷土史の雑誌目次を「硫黄」で検索する。地域的に関係しそうなもののみ紹介した。

7 念のため、『嬬恋村誌』『草津温泉誌 第1巻』も調査する。

<調査資料>
・『北佐久郡志資料集』 北佐久郡志資料集編纂委員会編 北佐久教育会 1967【N222/31】
・『長野県上高井誌』 上高井誌編纂会編 上高井教育会 1962【N214/18/2】
 p.795-844 上高井地域の交通と運輸についてまとめられているが、硫黄荷の移動に関する記述は確認できない。越後との交易については、陸路、通船で触れている部分も散見される。
・『仁礼誌』 楡史編纂委員会編 仁礼会 1973【N214/35】
 大笹街道と仁礼宿についての記述はあるが、硫黄荷についての記述は確認できなかった。
・『上田市史』上田市編 信濃毎日新聞社 1974(1940の復刻)【N221/26/1】
・『草津温泉史話』川合勇太郎著 太平出版 1966【N250/2】
群馬県史 通史編5 近世2産業・交通』 群馬県史編さん委員会編 群馬県 1991【213/129-1/5】
  「地場産業の展開」28-29コマ 「万座・白根の硫黄・湯花・明礬」229-236コマ
・中西崇著「近世の塩硝・硫黄生産と火薬製造」 『史観』第154冊(早稲田大学史学会) p.17-36
事前調査事項
(Preliminary research)
『群馬県史 資料編11』群馬県史編さん委員会編 群馬県 1980【213/129/11】p.445に、「白根硫黄甲信越売捌方につつき請負人・小諸問屋取替議定」があり、小諸の商人が売りさばいていたようだ。
『近世硫黄史の研究』 小林文瑞著 吾妻郡嬬恋村 1968【N569/1】
NDC
交通史.事情  (682 10版)
中部地方  (215 10版)
非金属鉱物.土石採取業  (569)
参考資料
(Reference materials)
小諸市誌編纂委員会/編 , 小諸市誌編纂委員会. 小諸市誌 歴史編3. 小諸市誌編纂委員会, 1992-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059368201-00  (【N222/43/2-3】)
高山村誌編纂委員会/編. 信州高山村誌 第2巻. 高山村誌刊行会, 2005-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058924206-00  (【N214/99/2】)
須坂市誌編さん室/編集 , 須坂市誌編さん室 , 須坂市. 須坂市誌 第4巻. 須坂市, 2015-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070488521-00  (【N214/119/4】)
斎藤 保人/著 , 斎藤 保人. 米子硫黄鉱山史. 筑北炭田採掘史研究会, 2012-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058958552-00  (【N562/9】)
竹前 本三郎/執筆者 , 田子 昭治/編 , 竹前 本三郎 , 田子 昭治. 米子鉱山沿革誌 : 起江戸時代〜至昭和13年の歴史 復刻版. 田子 昭治, 2007-01.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059030525-00  (【N562/5】)
キーワード
(Keywords)
硫黄
硫黄鉱山
売捌人
硫黄稼ぎ
抜け荷
抜け道
毒消し
関所
江戸時代--交通
小諸商人
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土 地名
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000321509解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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