レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 軽井沢町立図書館 (2400034) | 管理番号 (Control number) | 2022-08 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2022年04月22日 | 登録日時 (Registration date) | 2022年07月04日 14時33分 | 更新日時 (Last update) | 2023年06月01日 11時24分 | ||||||||||
質問 (Question) | 別荘ナンバーはどのような経緯でついたのか。 | ||||||||||||||
回答 (Answer) | 別荘ナンバー(ハウスナンバー、別荘番号)のはじまりについては、【資料1】『軽井沢町誌 歴史編 近・現代編』p112によると「軽井沢郵便局では、東・西・南・北に分けて別荘番号をつけて郵便物の配達が容易に正しく行われるようにした」とあります。その要因として明治三十年代頃、内・外国人の軽井沢の別荘が増加し、軽井沢周辺が大きく変貌したことによるもの、とあります。 その後、 【資料1】p140には「郵便局では、避暑客に氏名・住所をはたらきかけるとともに、それまで東西南北にわかれていた別荘番号を一五番から六八〇番もの別荘番号までの通し番号に改め」「一八七戸の別荘・ホテル・商店に対して六八〇番もの別荘番号をつくり、『空き番号』まで用意していた」とあります。(p636年表には「別荘番号を改正し一番から六八〇番まで」とあるため、詳しくは追加調査の方で記しますが別荘番号は1-680番までと思われます) 「避暑客に氏名・住所をはたらきかける」というのは【資料1】p181に詳しい記述があり、「避暑者は軽井沢にくると、氏名住所を郵便局に届け、離れるときは連絡することが始まった。これが今日まで続いている個別郵便番号制である。」とあります。 また、大正に入ると別荘番号のつけ方を変えています。【資料2】『軽井沢町誌 民俗編』p313の記載では「年々建ち並ぶ別荘には別荘番号がつけられているが、現在の別荘番号制度は、大正十四年当時の郵便局により改定されたものであった。それまでの番号は所在地とは無関係に、別荘が建てられる順につけていった番号であったため、郵便配達業務に支障をきたすようになり、番号化の整理が必要になったといういきさつがある。」とあります。 明治44年(1911)の当時の郵便屋のための地図、『長野県信濃国軽井沢郵便局市内郵便区画図』が当館にあります。それぞれの別荘ナンバーがどの位置の別荘についていたのか確認できます。この地図は【資料3】『祖父野澤源次郎の軽井沢別荘地開発史』巻末付録 拡大地図 図1にて同じものを見ることが出来ます。 (追加調査 2022/07) ・いつ別荘番号が変遷したか 明治30年代に東西南北に分けて別荘番号をつけ、明治44年に東西南北に分けるのをやめて通し番号とし、大正14年(【資料1】,【資料5】『軽井沢避暑地一〇〇年』)か大正15年(『信濃毎日新聞』1987(昭和62)年9月3日(木) 朝刊23面)に現在の別荘番号のつけ方に改定、となります。 また、『信濃毎日新聞』1987(昭和62)年9月3日(木) 朝刊23面によると「別荘の増加に伴う本格的な番号改定は昭和初期以降行われていない」との記載があったため、昭和初期にも別荘番号が改定されているようです。 ・明治44年につけられた別荘の通し番号の表記ゆれについて 複数の情報源を調査したところ、1-600、1-680、15-680と、通し番号が以下の通り表記ゆれをしていました。 【資料1】『軽井沢町誌 歴史編 近・現代編』p140「15-680」、p636年表「1-680」 【資料4】『軽井沢百年の歩み』p39 「1-600」 【資料5】『軽井沢避暑地一〇〇年』p173「1-600」 『信濃毎日新聞』1986(昭和61)年1月11日(土) 朝刊14面「1-600」 『信濃毎日新聞』1987(昭和62)年9月3日(木) 朝刊23面「1-600」 そのため、当時の地図も調査したところ、 『軽井沢別荘案内地図』明治44年 で1が割り振られていることを確認しました。 『軽井沢別荘分布図』明治44年 では、680が三笠ホテルに割り振られていました。 『長野県信濃国軽井沢郵便局市内郵便区画図』明治44年 では、05-669までの番号を確認しました。 地図からの情報を合わせると、1-680の通し番号がつけられていた可能性が高いと考えられます。 | ||||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1. まずは町誌にあたる。『軽井沢町誌』の【資料1】【資料2】に記述を見つける。 2. 「軽井沢」&「郵便」をキーワードに、蔵書検索システムにて検索。ヒットした中での地図、『長野県信濃国軽井沢郵便局市内郵便区画図』を確認する。【資料3】もヒットしたので、内容をみると同じ地図が載っていることが分かった。 (追加調査 2022/7) 3. いつ別荘番号のつけ方が変わっていったのか定かではなかったため、まずは【資料1】の年表を確認。p.607の明治44(1911)の欄に1-680番までの通し番号へと改正した、という記載を確認。【資料4】p39でも同じ情報を確認した。 また、信濃毎日新聞データベースにて、キーワードを「軽井沢 & 別荘」「ハウスナンバー」で明治・大正・昭和に絞って検索。「ハウスナンバー」のキーワードにて2件ヒットした。そして『信濃毎日新聞』1986(昭和61)年1月11日(土) 朝刊14面、『信濃毎日新聞』1987(昭和62)年9月3日(木) 朝刊23面でも通し番号に変わったのは、明治44年であることを確認した。 4. 東西南北に分けて別荘番号をつけた時期は、【資料5】p173に「軽井沢の初期別荘番号は、明治30年代半ば軽井沢郵便局三代稲垣乕次郎局長に設定され」という記述を確認。さらにp162より、明治34年9月発行の、軽井沢初期番号を付した最古資料である『信州輕井澤之全景』(りんどう文庫復刻版)を確認。この地図は当館に所蔵があり、実物も確認した。『信州輕井澤之全景』(復刻版)は軽井沢町立図書館デジタルアーカイブでも見ることが出来る。(最終確認 2023/6/01) 5. 時期を調べるうえで【資料1】【資料4】【資料5】『信濃毎日新聞』にそれぞれあたったところ、通し番号の表記ゆれに気づく。地図の通し番号も確認しようと『軽井沢別荘案内地図』、『軽井沢別荘分布図』、『長野県信濃国軽井沢郵便局市内郵便区画図』を確認した。 【調査済資料】 『かるゐざわ』 佐藤孝一編著 国書刊行会 1987 14-680までのハウスナンバーが表として載っていたがいつの時代か確認できず。680は三笠ホテルだった。 | ||||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||||||||
NDC |
| ||||||||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| ||||||||||||||
キーワード (Keywords) |
| ||||||||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000318130 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |