レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月24日
- 登録日時
- 2022/06/10 10:05
- 更新日時
- 2022/07/07 17:23
- 管理番号
- 奈県図情22-014
- 質問
-
奈良市中町の葛上神社について。昔の葛上神社には天保時代に建設された籠り所、籠家などと呼ばれる施設のみあり、現代的な拝殿はなかったようだ。そして明治以降、いつからか籠り所を拝殿とするようになったものと思われる。昭和4年ごろ、拝殿新築に合わせて籠り所は移築され、座小屋として再利用され、後に破棄されたようだ。神社に残る図や二つに分割移築したこと等から、籠り所は割り拝殿のような形であったと思われる。
籠り所、籠家とはどのようなもので、どう使われたのか知りたく、資料等あれば教えてほしい。
- 回答
-
『神道事典』には、該当項目はございませんでした。
『神道大辞典』には、「籠堂(こもりだう)」という項目があり、「神社又は仏閣に於て信者が参籠するために建てた堂舎をいふ。」と記載がございました。
オンラインデータベース『ジャパンナレッジ』を確認しましたところ、『国史大辞典』の「祭」の項目に「参籠の場所は多くは神祠の拝殿があてられるけれども、特別に建てた精進の籠家(こもりや)に入り、世俗との交流を遮断して潔斎の実をあげようとする。この物忌みは前斎ともいわれ、令制では斎忌を散斎(あらいみ)と致斎(まいみ)とに分け、前者を一ヵ月、後者を三日間と決め、服すべき重要な制戒と定めている。本祭の翌日に施行される裏祭は後祭とも後宴ともよばれる。緊張に明け暮れる本祭から解放された翌日は、祭場をはじめ一切の祭器祭具を神庫へ収納し跡仕末をする。それが済むと、老幼男女こぞって無礼講の祝宴が開かれる。」(抜粋)と記載がございました。(2022/6/10 最終確認)
また、『日本の名随筆 44』には、柳田国男の「祭のさまざま」が収録されており、25~26頁に「それ故に祭の日の前になると、家々は皆外から来る人を断つて、厳重な物忌を守つたのであるが、人が多く集まるとどうしても故障が起りやすい。それで祭に是非働かねばならぬ人だけは、別に離れて住んで何日かの間、謹慎してゐたのであつた。其謹慎の場所を精進屋又は御籠り所とも謂つた。御籠り所は臨時に仮屋を作ることもあれば、特に一軒の民家を清めて使ふこともあり、社務所や帳屋ちやうやといふものを、その為に建てゝ置く所もあるが、此頃ではお宮の拝殿に行つて籠る村が多くなつた。人の職業の為に働く用がふえて来て、おこもりの時間は段々と短くなつてゐる。しかし青年たちが昔の通りに、祭の前夜又は前々夜から、蒲団を持つておこもりに行く村は今でも多い。それは皆祭の物忌を厳重にせんが為である。老人や女たちは、祭の当日の朝のうちから参つて来る。それを日籠ひごもりといふのは、御籠りがもとは夜のものだつたからである。御籠りの人々は皆食物をきれいにこしらへ、神酒を持つて来て、先づ初穂を神に上げて後に、それをめい/\がいたゞき、且つ隣の人々と交換して食べる。つまりは神と人との共同の食事であつて、それが何物にもたとへられない楽しみであり、又いつまでも忘れ難い思ひ出であつたことは、決して私たち少年少女ばかりでは無かつたのである。」(抜粋)との記載がございました。この図書はインターネットの青空文庫(無料の電子図書)で全文を読むことができます。URLは以下のとおりです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54830_49770.html (2022/6/10 最終確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 神道 (170)
- 近畿地方 (216)
- 参考資料
-
-
平凡社 編 , 平凡社. 神道大辞典 第2巻. 平凡社, 1940.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001644296-00 -
日本の名随筆 44. 作品社, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001803138-00 , ISBN 4878939443
-
平凡社 編 , 平凡社. 神道大辞典 第2巻. 平凡社, 1940.
- キーワード
-
- 葛上神社
- 御籠り所
- 籠家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000317147