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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
県立長野図書館 (2110021)管理番号
(Control number)
県立長野-22-027
事例作成日
(Creation date)
2022年05月11日登録日時
(Registration date)
2022年05月23日 16時56分更新日時
(Last update)
2022年05月27日 12時21分
質問
(Question)
長野県佐久郡の旧・三塚村(現・佐久市)の瀬下家の古文書を読む機会があった。瀬下家について、もっと詳しく知りたい。史料はあるか。
回答
(Answer)
瀬下家のあった三塚村は、『角川日本地名大辞典20 長野県』角川書店 1990 【291.03/カド/20】 p.1056によると、江戸期の初めは小諸藩領、元和8年徳川忠長領、寛永9年幕府領、慶安4年甲府藩領、元禄14年幕府領、宝永元年三河奥殿藩領、文久3年田野口藩領、明治元年竜岡藩領と領主が次々変わった地域で、現在は、佐久市となっている。
 また、『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県』角川書店 1996 【N288/158】 p.816「瀬下」では、
    中世、佐久郡に所領を持った武田部将に瀬下氏がある。下総国結城(茨城県)を中心に、鎌倉・室
   町時代にわたって繁栄した藤原姓結城氏の子孫。その一族が上野国(群馬県)甘楽郡瀬下荘に移り住
   んで瀬下氏を称したという。武田信玄の上野進攻で配下となり、以来武田氏の一将として信州に入っ
   たものと思われる。上野瀬下氏の伝承によると、武田氏に仕えたのは瀬下豊後守良隆といい、武田氏
   滅亡後、良隆が佐久郡三塚村(佐久市)に帰農して佐久郡瀬下氏の始祖となったという。(-後略-)
とある。

 三塚村の瀬下氏の分家にあたる人物に、「千曲の真砂」の著者である野沢村の瀬下敬忠(のぶただ)がいる。『長野県南佐久郡志』 千秋社 1997 (大正8年長野県南佐久郡役所刊の復刻) 【N223/90】p.805の「瀬下敬忠」の項に、瀬下家の系譜がわかる部分として
    (-前略-)本姓は藤原、結城朝光の裔瀬下豊後守の後なりと云ふ。父を源五右衛門と云ひ、三塚
   (現今野沢町三塚)の豪農にして家世々里正たり。岩村田藩内藤候に仕へて士籍に列せらる。
   (-後略-)
があった。
 上記瀬下敬忠の父瀬下敬豊についての論文があり、瀬下氏の概略に触れている。町田良一著「瀬下敬豊伝」『信濃 第1次』 第4巻第11号のp.262-264に所収されている。
 さらに、『千曲の浅瀬』 平林富三著・刊 1973 【N223/29】のp.155-172に「瀬下敬忠と千曲真砂」があり、前半は三塚村の瀬下氏の来歴に触れている。
 これらのほか、次のものを紹介した。
・尾崎行也著 「近世中期佐久地方無尽講の実態-三塚村瀬下氏『無尽帳』より-」 
      『佐久』第71号 p.38-48(『佐久』第36号(佐久史談会)の復刻)
・市川武治著 「敬忠を生んだ瀬下家とその生涯の時代背景について」 『佐久』 第68号 p.17-28
    p.29-32 解説資料: 瀬下敬忠の著作の解説
・市川武治著 「『瀬下家分限書』とその検討」 『千曲』 第13号 p.57-62
・山崎哲人著「近世村落内諸階層の形態(1)」『千曲』第17号p.38-51
    p.49に「瀬下家略系譜」として『瀬下氏家系並霊石記写全』等から作成された系譜が掲載されて
   いる。
・山崎哲人著「近世村落内諸階層の形態(2)」『千曲』第18号 p.52-64
・山崎哲人著「近世村落内諸階層の形態(3)」『千曲』第22号 p.38-53
・山崎哲人著「近世村落内諸階層の形態(4)」『千曲』第23号 p.46-54
    ※(1)から(4)で完結。江戸期における三塚村の村落経営について述べたもので、村の豪農で
    あり、藩内の有力農民としての位置づけを持つ瀬下家を中心にしている。
回答プロセス
(Answering process)
1 『角川日本地名大辞典20 長野県』『長野県の地名』平凡社 1979(日本歴史地名大系 20)【291.03/ニホ/20】などで、三塚村を確認する。

2 『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989 【N283/13】 p.397で、瀬下姓の江戸期の人物を調べる。「瀬下敬忠」「瀬下敬豊」を見つける。また、明治期だが三塚村の出身として「瀬下清」も確認する。瀬下敬豊の項に、三塚村に生まれ、瀬下家の嗣子だったが、弟に家督を譲り、野沢村に別家したとあった。また、元禄年間に野沢村の陣屋を預かり元締め手代を務めたとのこと。敬豊の第3子が『千曲の真砂』などを記した郷土の歴史研究家の瀬下敬忠。家督を継ぎ、岩村田藩内藤氏に村役人として仕えたことがわかる。

3 佐久地域の誌史類を調べる。『佐久市志 歴史編(3)近世』 佐久市志編纂委員会編 佐久市志刊行会 1992【N223/69/3-3】p.648-659「地主の成長」に瀬下家の様子も記載されている。p.774-781に、瀬下敬忠の日記『こよみぐさ』から、この時代の病気と医療についてまとめた記載があった。p.813-823の「地方文人と文芸」に瀬下敬忠について記されている。
 『臼田町誌 第4巻 近世編』 臼田町誌編纂委員会編 臼田町誌刊行会 2008 【N223/106/4】では、瀬下家の史料を利用した記述が散見されるが、そのものを影印で掲載したり翻刻したものをまとめて掲載しているわけではない。p.478-480分家である瀬下敬忠の日記『こよみくさ』を基に、「瀬下家にみる病気と医療」の項目が書かれている。

4 事前調査事項の「近世村落内諸階層の形態(1)」を確認する。

5 「瀬下敬忠」「瀬下敬豊」で、蔵書検索をし、資料を確認していく。

6 所蔵の郷土の歴史研究雑誌を「瀬下」で検索する。関係資料を調べる。
 
<調査資料>
・『北佐久郡志史料集』 北佐久郡志資料集編纂委員会編 佐久恐育会 1967 【N222/31】
事前調査事項
(Preliminary research)
山崎哲人著「近世村落内諸階層の形態(1)」『千曲』第17号p.38-51に瀬下家のことが記述されているらしい。
NDC
個人伝記  (289 10版)
日本史  (210 10版)
参考資料
(Reference materials)
長野縣南佐久郡誌 復刻版. 千秋社, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002657138-00 , ISBN 4884772334 ( (大正8年長野県南佐久郡役所刊の復刻) 【N223/90】p.805)
平林富三 著 , 平林, 富三, 1904-. 千曲の浅瀬 : 郷土研究. 平林富三, 1973.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001215982-00  (【N223/29】p.155-172)
佐久市志編纂委員会/編 , 佐久市志編纂委員会. 佐久市志 歴史編(3). 佐久市志刊行会, 1992-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058880751-00  (『』【N223/69/3-3】)
キーワード
(Keywords)
三塚村(佐久郡)
佐久市
瀬下家
瀬下敬忠
瀬下敬豊
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土 人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000316480解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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