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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
県立長野図書館 (2110021)管理番号
(Control number)
県立長野-22-022
事例作成日
(Creation date)
2022年04月23日登録日時
(Registration date)
2022年05月14日 15時06分更新日時
(Last update)
2022年06月17日 14時02分
質問
(Question)
明治35年頃、松本孤児院設立を計画していた人物小口喜代太氏について知りたい。古書店のサイトで「松本孤児院設立趣意書 賛成員名簿」【最終確認2022.5.15】を見た。
回答
(Answer)
松本孤児院設立を計画していた小口喜代太氏については、『信濃毎日新聞』明治35年3月4日朝刊2面 「松本孤児院設立の計画」に
   松本町大字源池の小口喜代太氏と云へる美以(みい)教会の信者は、(-後略-)
とある記事を確認できたのみ。
 大正期の資料で『長野県社会事業要覧』(DVD-R)長野県社会課 1923 【N369/626】 のp.3(9コマ)に、県が社会事業団体補助をした相手方があるが、ここに、小口氏にかかわる団体は確認できなかった。
 当館で調査した史誌類、キリスト教関係資料には、「小口喜代太」および「松本孤児院」は見られなかった。

 『松本市社会福祉協議会創立五十年のあゆみ』 五十年のあゆみ編纂委員会編 松本市社会福祉協議会
2004 【N369/318】  p.4 に、
   孤貧児を収容したのは松本女子求道会(明治四十一年開設)である
という記述があった。また、巻末p.308の社会福祉年表を確認したが、小口氏による孤児院と思われる施設は確認できなかった。この時代の社会福祉分野の情報はもともとそれほど多くはないため、実際に孤児院が作られたか否かまでは確認ができなかった。
回答プロセス
(Answering process)
1 『長野県歴史人物大事典』 赤羽篤ほか著 郷土出版社 1989 【N283/13】で、小口喜代太を調べるが、記載なし。

2 松本市および周辺地域の名士の記載がある『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別編 人名』 東筑摩郡・松本市・塩尻市誌郷土資料編纂会編・刊 1982 【N233/10/別2】を調べるが確認できない。

3 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」でキーワード検索する。この時代は記事の全文検索ができないため、見出し語、もしくは新聞社で付けたキーワードで検索することになる。見出しのない記事は検索できないことが多い。松本孤児院が、松本市に作られた孤児院か、松本市ではなく「松本」さんという名前を冠した孤児院かわからないので、「孤児院」「孤児」「貧児」などをキーワードに検索する。ヒットしない。

4 利用者見たという「松本孤児院設立趣意書 賛成員名簿」の画像をwebで探す。古書店の発行年月日情報で明治35年3月とわかる。

5 明治35年3月の信濃毎日新聞の紙面をデータベースで見ていく。3月4日に記事を発見。松本市に住む小口喜代太氏であることがわかる。

6 美以(みい)教会の信者とあったので、松本市のキリスト教関係の資料を郷土分類N190の書棚で探す。松本の美以教会については、『東海教区史』に詳しいが、孤児院の記述はない。

7 社会福祉の資料から探す。郷土分類N369の書棚や、『長野県史 通史編』『松本市史 第2巻 下巻』などで福祉事業を調べる。「松本孤児院」の記述を確認できない。

<調査資料>
・『長野県の社会福祉』 長野県社会部編・刊 1968 【N369/40】 p.77
   明治初期からの児童福祉に関する概略が書かれており、明治4年「棄児養育米給与方」、同6年「3子
  出産の貧困者への養育料給与方」、7年には恤救規則の制定により貧困児、虎児に対する恤救が行われ
  ている。明治16年、長野市に大勧進養育院が設置され、廃疾、老人とともに孤児の救済事業が始まっ
  た、旨の記述がある。松本孤児院についての記述は確認できない。
・『長野県史 通史編 第7巻 近代1』 長野県編 長野県史刊行会 1988 【215./ナガ/5-7】 p.805-807
   明治16年の善光寺大勧進内に設立された大勧進養育院が、県か唯一の施設として存在するだけで、
  その後34年に、ようやく50人収容をめざした建物として新築された記述がある。
・『長野県史 通史編 第8巻 近代2』 長野県編 長野県史刊行会 1991 【215./ナガ/5-8】 p.252-255
   救護施設、養育施設の記述がある。ここでは、大正2年度の長野県予算の「救育予算」が、前述の大
  勧進養育院のほか、松本女子求道会(寺田五三子主催 南信禅道会)養育部による養育事業に支出され
  ている旨の記述があるが、『長野県史通史編』の7巻、8巻ともに松本孤児院についての記述は確認で
  きない。
・『日本社会事業名鑑』 中央慈善協会編・刊 1920(大正9)国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開【最終確認2022.5.15】
   長野県(195コマ)に松本女子求道会の活動についての概略があり、明治42年設立、扶養義務者な
  き幼児及扶養義務者あるも養育力なき者の用事を保育する事業を行っていることがわかる。松本孤児
  院の項目はない。
・『長野県社会事業年表 近代の歩み』矢上克己編 清泉女学院短期大学矢上研究室 1982 【N369/120】
   年表中には、松本孤児院についての記述は確認できない。
・『松本市史 第2巻 下巻』 松本市役所編・刊 1933 【N233/17/2】 p.577-
   明治年間の社会事業については、特に挙げるものはないと記されている。
・『松本市史 第2巻 歴史編3近代 』 松本市編・刊 1995 【N233/106/2-3】 p.291-292
   松本市におけるキリスト教布教の流れが書かれている。
    明治9年7月 メソジスト教会の長澤弥左衛門による布教 松本美以協会の始まり
    明治10年 松本美以教会 宣教師コルレを招く。11年川村天授が初代牧師となる
    明治20-30年代 大名町 聖十字協会
            地蔵清水 カトリック教会(天主教会)
            田町(東町) 日本基督教会による巡回宣教
           安原町 バプテスト教会
    明治23年7月 小柳町 美以教会の会堂と牧師館建築
    明治31年3月 カナダ日本人メソヂスト教会 三上操吉牧師による伝道 田町に教会建築
    明治41年5月 メソヂスト三派合同の結果、「日本メソヂスト松本教会」と称し、小柳町の教会を
           教会堂とする
・『東海教区史』 改訂版 東海教区史編纂小委員会編 日本基督教団東海教区 2003 【N198/6】
   上記松本での布教の流れは、こちらの資料に詳しく書かれている。どちらの資料にも松本孤児院につ
  いての記述は確認できない。
・『長野県社会福祉協議会50年のあゆみ』
     長野県社会福祉協議会50年のあゆみ編纂委員会編 長野県社会福祉協議会 2003 【N369/305】
・『松本日本基督教会七〇年史』 及川信編 松本日本基督教会 2001 【N198/15】
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
社会福祉  (369)
各教派.教会史  (198)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
小口喜代太
松本孤児院
慈善事業
社会福祉
キリスト教
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土 人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000316186解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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