レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 大阪市立中央図書館 (2210006) | 管理番号 (Control number) | 3A20007235 | |||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2021年05月14日 | 登録日時 (Registration date) | 2022年02月24日 00時30分 | 更新日時 (Last update) | 2022年12月09日 00時30分 | |||||
質問 (Question) | 昭和19年から20年にかけ、大阪西区の児童が島根県へ集団疎開していた。その中で、九条中国民学校の児童だった方の手記等が残っていないか知りたい。九条中国民学校は空襲のため全焼し、戦後まもなく九条北小学校に統合されている。 | |||||||||
回答 (Answer) | 手記としての資料は見つかりませんでしたが、以下の資料に九条中国民学校卒業生による島根県の集団疎開についての記述がありました。 (1) 『戦禍に追われて -戦後50年に寄せて- 3』 (戦争はいやや西区平和展実行委員会/編集 戦争はいやや西区平和展実行委員会 1996.8) p.35-38「戦争体験を語る会」のp.36-37に、九条中国民学校の卒業生である中平定春氏の島根県へ集団学童疎開した体験談が掲載されています。 このほか、手記ではありませんが、九条中国民学校に関連する記述が下記のページに掲載されています。 p.24-31青木勝美「炎上し破壊された学校 廃校跡をたずねて」のp.24-25に「九条中小学校」の項があり、「昭和二十年(一九四五年)三月十四日未明の大空襲で学校も校下も全焼した様子は、表紙の絵と中平昭和さんの「戦災日記」に詳しく書かれています」とあります。ただし、「戦災日記」について発行の情報等の確認はできませんでした。 p.46-49「西区平和展と私」のp.46には、前述の中平定春氏が集団疎開で島根県に行ったことが記載されています。 (2) 『毎日新聞』2018年8月21日 大阪朝刊 15ページ 「発掘・戦禍の証し:私と終戦 1945年8月15日 母恋し、原爆に断たれ」 松江市に集団疎開していた大阪市九条中国民学校5年だった辻本稔さん(83)の終戦当時の思いを語った記事が掲載されています。 | |||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1.当館蔵書検索システムにて、件名“疎開”かつ、フリーワード“九条中”で検索、ヒットなし。 2.当館蔵書検索システムにて、検索対象を郷土資料に絞り、件名“疎開”かつ、フリーワード“島根”で検索、有用資料なし。 3.「Google」を“九条中国民学校 疎開”で検索し、「戦争体験文集」が掲載されているホームページ「大阪市内で戦争と平和を考える」( https://jinken-kyoiku.org/heiwa/ (2022.10.24確認))が見つかる。 4.プロセス3で見つかったサイトに掲載されている資料の所蔵を確認。(資料(1)) 5.商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」「産経新聞データベース」「日経テレコン」「毎索」「ヨミダス歴史館」を“九条中国民学校”で検索。「聞蔵Ⅱビジュアル」と「毎索」で1件ずつヒットするが、有用な記事は「毎索」のみ。資料(2)が見つかる。 | |||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||
調査種別 (Type of search) | 所蔵調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||
登録番号 (Registration number) | 1000312466 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |