レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月25日
- 登録日時
- 2022/01/05 14:28
- 更新日時
- 2023/06/09 17:41
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2657
- 質問
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解決
ドイツ陸軍将校・クレメンス・メッケルが関ヶ原を訪問した際の様子を伝える当時の新聞、雑誌、書籍等の文献はないか。
- 回答
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1886年1月13日付けの岐阜日日新聞に関連記事があった。
- 回答プロセス
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①以下、当館所蔵資料を確認したが、クレメンス・メッケルが関ヶ原を訪問した際の様子について、詳細な記載はなかった。
A『江戸の兵学思想』(野口武彦 中央公論社,1991)p75
B『資料 御雇外国人』(小学館,1975)参考文献「メッケル」の項
C『関ヶ原合戦』(二木謙一 中央公論社,1982)p75
D『メッケル少佐』(宿利重一 マツノ書店,2010)目次
E『お雇い外国人6』(鹿島出版会,1979)p209-230「クレメンス・メッケル」
F『日本戦史 関原役 附表・附図』 (元真社,1911)
G『濃飛史艸第114号』(2017)「明治と平成の史蹟整備~関ヶ原古戦場~」p2-3(草野道雄氏実践発表)
H『関原合戦図志』(神谷道一,1892 ※複製版)
②質問者提供の情報に基づき、1886年1月8日前後の岐阜日日新聞を岐阜新聞データベースで確認。1月8日付の紙面2頁にメッケル氏についての記事を確認したが、県職員が出迎えに出張したことを報じるものであり、関ヶ原を訪問した際の様子について報じる内容ではなかった。
③別件レファレンスを調査中、1886年1月13日付けの岐阜日日新聞(2頁)に関連記事を確認。メッケル氏が1月7日に大垣に到着・宿泊、翌日の午後に関ヶ原を訪問したこと、首塚が鉄道敷地の地下にあると説明を受けたことなどを報じる内容であった。
- 事前調査事項
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『ふるさとがたり 不破の地名』(不破郡地名研究会,1988年)、『参謀教育-メッケルと日本陸軍』(林三郎,1984年)※214頁にクレメンス・メッケルが「明治19年(1886年)1月8日 大垣出発 関ヶ原を経て滋賀県彦根へ」との記述あり。
- NDC
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- 陸軍 (396 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- クレメンス・メッケル
- 関ヶ原
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000310114