レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年7月27日
- 登録日時
- 2021/07/23 12:23
- 更新日時
- 2021/07/29 22:32
- 管理番号
- 県立長野-21-063
- 質問
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解決
戸隠山門前(とがくしやまもんぜん)とは、小字のような地名なのか、村のようなものか、知りたい。
- 回答
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『角川日本地名大辞典 20 長野県』 角川書店 1990 【N293/18】 p.757 「戸隠山門前」に
江戸期~明治5年の村名。水内(みのち)郡のうち。裾花川支流楠川流域に位置する。戸隠山神領。
村高は、「天保郷帳」340石余、「旧高旧領」は戸隠村と見え、同高。戸隠山の宝光院・中院による
2集落がある。(-後略-)
とある。
また、『日本歴史地名大系20 長野県』平凡社 1979【291.03/ニホ/20】p.959中段「戸隠山門前」に、
東は飯縄(いいづな)山西北の瑪瑙(めのう)山とその西怪無(けなし)山の山麓を擁し、北は
戸隠神社奥社をその山ふところにおさめる戸隠山、西は西南の荒倉(あらくら)山に至る山脈をなが
める。南は東・北・西の山々の山麓となっている。
門前集落は中社・宝光社よりなる。天保郷帳に「三百四拾石弐升四合 戸隠山門前」とある。中
社・宝光社の成立年次は不詳。「戸隠山顕光寺流記」によれば、康平元年(一〇五八)奥社から宝光
社を分社して宝光院とし、寛治元年(一〇八七)同じく奥社から中社を分社して中院としたとある。
更に、正徳年中(一七一一~一六)奥社より中院・宝光社へ修験僧が移った(上水内郡誌・長野町村
誌)。天保郷帳に記された門前の石高三四〇石二升四合の示す地域については古い記録を欠くが、明
治五年(一八七二)中院の人人が長野県へ差し出した上知戸隠山林野原調書(宮沢文書)に毛無山・
瑪瑙山・高妻(たかつま)山・乙妻(おとつま)山・西(にし)岳などの山林原野の面積が記されて
いるので、これからうかがい知ることができる。ただしこの地域は、慶長一八年(一六一三)七月一
七日江戸幕府から戸隠山神領として示された朱印地一千石の地域を含んではいない。中社・宝光社の
二集落は、戸隠信仰と結びついた村々の講や組との間に経済の主なる基盤いわゆる「霞」を置いてい
た。
慶応四年(一八六八)、両部習合の神道廃止の令、いわゆる神仏分離令により社僧の還俗奉仕が命
ぜられた。明治五年中社・宝光社を戸隠村と称するよう長野県から命ぜられている。(-後略-)
とある。
- 回答プロセス
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1 『角川日本地名大辞典 20 長野県』と『日本歴史地名大系20 長野県』をひき、比べる。集落名であり、村のような扱いで経過してきていることがわかったため、回答とする。
<調査済み資料>
・『戸隠村誌』 戸隠村誌刊行会編・刊 1962 【N212/21】
・『戸隠権現鎮座考』 端戸信騎著 戸隠遊行塾 2008 【N171/52】
・『戸隠信仰の歴史』 戸隠神社1997 【N171/37】
・『戸隠信仰の光』 戸隠神社 2009 【N171/53】
・『戸隠信仰の諸相』 戸隠神社 2015 【N171/63】
・『古道を歩く 戸隠神社五社めぐり』 堀井謙一文 今井達写真 信濃毎日新聞社 2013 【N171/61】
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 20 (長野県). 角川書店, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002055045-00 , ISBN 4040012003 (【N293/18】 p.757) -
日本歴史地名大系 20. 平凡社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005629726-00 , ISBN 4582490204 (【291.03/ニホ/20】p.959)
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「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂. 角川日本地名大辞典 20 (長野県). 角川書店, 1990.
- キーワード
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- 上水内郡戸隠村
- 長野市戸隠
- 宝光院
- 中院
- 宝光社
- 中社
- 戸隠山門前
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000302071