レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/05/11
- 登録日時
- 2021/06/02 00:30
- 更新日時
- 2021/06/18 14:47
- 管理番号
- 9599602
- 質問
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解決
1874(明治7)年の歌会始に関する宮中行事関係資料・公文書(肥後の石工・橋本勘五郎が出席していたか否か、また、この時の参加者・作品が知りたい)
- 回答
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明治7年の歌会始に橋本勘五郎が出席したことを示す資料、および、同年の歌会始の出席者名が掲載されている資料は見つかりませんでした。
以下、①明治天皇の公式記録である『明治天皇紀』、②宮内公文書館、③国立公文書館が提供しているWeb情報を調査した結果を参考情報としてお知らせします。
①『明治天皇紀』第3(明治六年一月~明治九年十二月) 宮内庁 編 吉川弘文館, 1969【当館請求記号 288.41-M448K4m】
①のpp.196-197に明治7年1月18日「御歌会始」の記述があり、天皇の歌(御製)、皇后の歌、召人の式部大属・飯田年平の歌が掲載されています。また、「今年詠進する所の歌数四千百三十九首に及ぶ」という記述もありますが、上の3つの歌以外は掲載されていません。
②宮内公文書館「書陵部所蔵資料目録・画像公開システム」(https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho)
②のフリーワード検索で「歌会始」をキーワードとして検索すると「歌会始詠進懐紙 明治7年」(識別番号 - 識別枝番80001)がヒットし、画像を見ることができます。この資料には宮中関係者等が明治7年の歌会始のために詠んだ歌が掲載されていますが、一般国民が詠んだ歌は含まれていません。なお、宮内公文書館が明治7年の歌会始に寄せられた歌に関する上記以外の資料を所蔵しているか否かは確認できませんでした。
③国立公文書館の電子展示「近代国家日本の登場 -公文書に見る明治-」(http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/modean_state/index.html)
③の「10.宮中儀式」に歌会始が取り上げられており、「明治7年に至っては、一般からの詠進も認められました」、「明治以前には、皇后は出御(しゅつぎょ)されなかったのですが、明治8年にはじめて出御されることとなりました」との記述があります。なお、国立公文書館デジタルアーカイブ(https://www.digital.archives.go.jp/)を「歌会始」で検索すると、「七年歌御会始人民一般詠進ヲ許ス」という文書の画像を見ることができます(文書のURL:https://www.digital.archives.go.jp/item/1389335)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 議官(レファレンス)
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000299672