以下の資料を確認しましたが、高虎が言ったという事実は確認できませんでした。
・『高山公』桜木 謙二/編輯 伊勢新聞社活版部 1913
・『高山公逸事』梅原 三千/編 高山公三百年祭会 1930
・『ふじの生涯』七里 亀之助/著 夕刊新伊勢新聞社 1980
・『影の人・藤堂高虎』徳永 真一郎/著 毎日新聞社 1987
・『歴史研究 第493号 特集 藤堂高虎の謎』歴研 2002
・『江戸時代の設計者(講談社現代新書)』藤田 達生/著 講談社 2006
・『藤堂高虎公事績の再検討について』梅原 三千/原作,西山 光正/現代語訳・意訳・編集 私家版 2008
・『藤堂高虎』津市,津市教育委員会/編集 津市,津市教育委員会 2008
・『高虎さんのはなし』西田 久光/執筆,津市/編集,津市教育委員会/編集 津市 2008
・『私たちの藤堂高虎公』「私たちの藤堂高虎公」編集委員会/編集 藤堂藩五日会 2016
・『藤堂高虎論』藤田 達生/著 塙書房 2018
以下の資料では、高虎が言った旨の記述がありますが、具体的な時期等の言及はありません。
・『藤堂高虎』横山 高治/著 創元社 1987 p281
また遺訓等で言い残したものの可能性から、以下の資料も確認しましたが、該当するものはありませんでした。
・『武家家訓・遺訓集成 増補改訂』小沢 富夫/編集・校訂 ぺりかん社 2003
・『武士道家訓集 復刻版』有馬 祐政,秋山 梧庵/編 博文館新社 2012
さらに、司馬遼太郎の長編小説「関ヶ原」で、高虎が忠誠心をあまり持たないという人物として描かれるという情報から、この小説を確認したところ、「高虎は、「七たび主家をかえねば一人前の武士とはいえぬ」といわれた戦国末期の典型的な武士といっていい。」という記述がありました(新潮社刊 1992 p133)。この記述からすると、「七たび主家をかえねば一人前の武士とはいえぬ」というのは高虎の発言ではなく、戦国末期の武士の典型例を言ったものであるように思われます。(高虎が発言したとすれば、このような書き方にはならないように感じられます。)
なお、この言葉がいつ頃成立したものかという点についても有力な情報を見つけることができませんでした。
(追記)
後日、依頼者の方から、この言葉は江戸時代に成立した『葉隠』にある以下の言葉がもとになっているのではないかというツイートがあった旨の情報をお寄せいただきましたので追記します。
『葉隠』聞書第一 一二七
「浪人などして取り乱すは沙汰の限りなり。勝茂公御代の衆は、「七度浪人せねば誠の奉公人にてなし。七転び八起き。」と、口付けに申し候由。成富兵庫など七度浪人の由。起き上り人形の様に合点すべきなり。主人も試みに仰せ付けらるゝ事あるべし。」