レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年02月05日
- 登録日時
- 2021/03/10 14:14
- 更新日時
- 2021/05/08 18:16
- 管理番号
- 神戸図-1555
- 質問
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解決
日本で初めて「マラソン」という名称が使われたという明治42年の「マラソン大競走」について、走ったコースの地図があれば見たい。
- 回答
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簡略図が次の資料に掲載されている。
『阪神健脚大競走』
p.162-165「マラソン大競走の街道とコース」
同じ資料に、文章によるコースの解説がある。
p.166-170「コースの決定とその準備」
明治42年の大阪毎日新聞の記事をもとに、コース決定の様子を説明している。
経緯は次の通り。
2月9日 大競走の開催を発表
3月1日 コースを発表
3月13日 出発点の変更を発表(走行距離不足のため)
最終的なコースは次の通り。
○湊川埋立地~磯上通(3月13日の紙面より)
「…今回確定せる出発より最初の予定地たりし東遊園地異人山までを説明せんに、神戸湊川埋立地の金毘羅橋北手(皮池の東)なる出発点より昔ながらの大松並に狹まれたる大遊園地を一直線に南へ、1町余の緩い勾配を下り尽して元新橋を左に折れ、名に負う多聞通の坦々たる大道路を東に走りて大毎支局前より相生橋を渡り、唯だ一直線に宇治川より元町通を東して三宮より居留地に出で、神戸警察署前を左折し、同署に沿うて東に回り磯上通の大道を驀地(まっしぐら)異人山に出るものにして、これより以東は最初の予定通りと知るべし。」
○御幸通~新淀川西成大橋(3月1日の紙面より)
「…御幸通を北へ、小野・柄通・生田川尋常小学校前を東へ、本町通を東へ、敏馬神社前を過て大石村・都賀浜橋を渡り新在家村内大道と電車道との合一点より少し手前の空地脇を南へ折れて旧街道に出で、東明、石屋、御影、呉田、魚崎、青木、深江、芦屋、打出を経て西宮に入り、同町市庭町より戎神社に沿うて本町に出で与古道町より字尼道を右へ折れて尼崎街道を東へ、枝川、武庫川、蓬川を越えて尼崎に入り同町出屋敷町を南へ、貴船明神前より本町を東へ、字東町を過ぎ巽橋を渉り橋の東詰堤防を行くこと数町にして新街道を右折し、大和田村、稗島村を過ぎて、電鉄稗島停留場踏切を北へ、新淀川西成大橋東詰の決勝点に至る。」
次の資料にも、文章によるコースの説明がある。
『明治期における神戸の健脚競走に関する史的研究』
p.215-266「マラソン大競走」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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神戸市のHPを見てのお問い合わせ
「神戸を知る 日本マラソン発祥の地」
https://www.city.kobe.lg.jp/a09222/kosodate/lifelong/toshokan/furusato/kobe_shiru/marathon.html(最終確認:2021-03-10)
- NDC
- 参考資料
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『阪神健脚大競走』棚田 真輔 著 , 青木 積之介 著 , いせだプロセス出版部, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I046071315-00 (当館ID PV:7000024915) -
『明治期における神戸の健脚競走に関する史的研究』 棚田真輔 著 , 神戸商科大学経済研究所, 1994. (神戸商科大学研究叢書 ; 46)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002308551-00 (当館ID PV:7000340638)
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『阪神健脚大競走』棚田 真輔 著 , 青木 積之介 著 , いせだプロセス出版部, 1988.
- キーワード
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- マラソン
- 競走
- 日本初
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000294987