レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/26
- 登録日時
- 2021/03/02 00:30
- 更新日時
- 2021/07/29 12:29
- 管理番号
- 9098944
- 質問
-
未解決
播磨姫路新田藩主・本多忠刻の家臣の名前が載っている資料(『千姫考』以外)を見たい。
- 回答
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【 】内は当館請求記号、末尾の◎は国立国会図書館デジタルコレクションで国立国会図書館/図書館送信参加館内公開されている資料に付しています。
『千姫考』【289.1-Se182Hs】◎収載の分限帳のように、忠刻の家臣の名前がまとまって記載された史料は、他には見当たりませんでした。
断片的ですが、資料1~5に本多忠刻の家臣の名前が記載されていましたのでお知らせします。
資料1
家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典 第5巻 (三重県 2.和歌山県.京都府.兵庫県.大阪府.鳥取県.島根県)』新人物往来社, 1988.12【GB12-E4】
* 「姫路藩」(pp.220-257)の「宮本武蔵」の項(p.254)に、「姫路藩部屋住本多忠刻に剣術指南として招かれ」とあります。
資料2
綿谷雪 著『完本日本武芸小伝』国書刊行会, 2011.2【FS37-J224】
* 「【補】宮本武蔵玄信の養子」の項(pp.246-251)で、『新免家系図』の三喜之助貞為に「中務大輔忠刻に小姓としてつかえて小姓頭になり」等の記載があることが紹介されています。
資料3
太田亮 著『姓氏家系大辞典』角川書店, 1963【288.1-O832s-ka】
* 第3巻「村井」の項の2に、村井吉兵衛貞勝の孫の監物成政が、姫路城主本田忠刻に仕えたとの記載があります(p.6023)。
資料4
村井早苗 著『キリシタン禁制の地域的展開 (近世史研究叢書 ; 17)』岩田書院, 2007.2【HP123-H59】
* 「第三章 キリシタン武士の地域的交流―岡山藩鷹師横川助右衛門・三郎兵衛父子を中心に―」(pp.109-129)、「一 横川助右衛門の生涯」(pp.110-114)に、「元和六年、蜂須賀氏より暇を取った助右衛門は、その後は播磨姫路城主本多忠政の子忠刻に仕えた。」(p.112)とあります。
資料5
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂『角川日本地名大辞典 28 (兵庫県)』角川書店, 1988.10【GB11-38】
* 「上野村<姫路市>」の項(p.230)に、「姫路城部屋住本多忠刻が和田太郎兵衛に上野村50石の知行地を与えた。」とあります。
〔主な調査済み資料・ウェブサイト〕
新行和子 [編]『中根家文書目録』岡崎市教育委員会, 1975【GB5-42】
* 「中根家文書書籍解題」(pp.8-13)によると、中根家文書は「本多忠勝家の家老であった中根家に伝えられた文書、書籍類」(p.8)で、分限帳、番帳、定目、触書の類については「本多家の分限帳、番帳がその主なもの(中略)本多家が嗣なくて五万石減石された以前と以後の分限帳がほとんどそろっている」(pp.10-11)とあります。
中根家文書編集委員会 編『中根家文書 上 (岡崎市史料叢書)』岡崎市, 2002.3【GC135-G134】
* 「一七 同席衆明細書」(pp.82-116)は、天保11(1840)年頃に同席衆が藩に提出した明細書と呼ばれる先祖書(p.26)ということです。愛知県図書館のデジタルライブラリーにおいて本多家岡崎藩分限帳という書名で公開されている文書と同様の形式で、忠勝からの家臣の名前を確認できますが、忠刻に関する記述は見当たりません。
愛知県図書館 貴重書和本デジタルライブラリー>本多家岡崎藩分限帳
https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/18.html
新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史. 3 (近世)』新編岡崎市史編さん委員会, 1992.7【GC135-166】◎
* p.938に「忠刻が死去すると、その領有高一〇万石は甥の小笠原長次と三男である忠義に分知された。この分知の際には、忠刻付きの家臣二六〇人余りの大部分が、六対四の割合で附人分けをされている。」との記載がありますが、附人分けの詳細を確認できる史料等の情報は見当たりませんでした。
姫路市史編集専門委員会 編『姫路市史 第3巻 (本編 近世 1)』姫路市, 1991.3【GC172-E88】
* pp.190-191に「播州姫路拾万石侍御分限帳」に関する言及があります。
姫路市史編集専門委員会 編『姫路市史 第10巻 (史料編 近世 1)』姫路市, 1986.3【GC172-E88】
兵庫県史編集専門委員会 編『兵庫県史 史料編 近世 1』兵庫県, 1989.3【GC167-23】◎
* 「二 徳川幕府と諸藩の領知」(pp.51-507)に「2 家臣の構成と知行」の項(pp.337-489)があります。
兵庫県立図書館ウェブサイト「兵庫県内各藩の家臣の一覧が掲載されている資料」
https://www.library.pref.hyogo.lg.jp/siraberu/tyosasiryosyu/kasin.html
静岡県 編『静岡県史料 第4輯』静岡県, 昭13【618-103】
* 「本多忠義家臣衆連署手形」(pp.206-208(168-169コマ))、「本多忠義家臣衆連署状」(pp.208-209(169コマ))等、忠義の家臣の名がわかる史料が収録されています。忠義は忠刻の家臣をわけられたということで確認しましたが、『千姫考』収載の分限帳に挙げられた人物名は見当たらないようです。詳細は利用者ご自身でご確認ください。
* 国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開しています。
新潟県 編『新潟県史 資料編 8 近世 3 (下越編)』新潟県, 1980.3【GC85-70】
* 第一章 第一節の「二 分限帳と家中法度」(pp.51-119)に挙げられた文書を確認しています。
福島県 編『福島県史 第8巻 (資料編 3 近世資料 1)』臨川書店, 1985.5【GC35-59】
* 白河藩の「一 藩と藩政」「2 家臣」(pp.535-548)に挙げられた文書を確認しています。
龍野市史編纂専門委員会 編『龍野市史 第5巻』竜野市, 1980.3【GC172-80】◎
* 「一 龍野を支配した領主たち」(pp.1-59)、「3 龍野支配諸藩来歴」(pp.30-59)に小笠原長次に関する史料が収録されています。
半田隆夫 解説・校訂『中津藩 : 歴史と風土 第3輯 (中津藩史料叢書)』中津市立小幡記念図書館, 1982.12【GC285-73】◎
* 「V小笠原中津藩史料」の項に収録の「所務寄帳」(pp.273-291)は、小笠原長次が中津に入部した寛永9(1632)年から延宝5(1677)年の記録(p.45)で、奉行や代官の名前が記載されています。
* 「小笠原中津藩分限帳覚」(第8輯収録。p.30に年代は特定できないが小笠原時代の分限帳として貴重な史料との記載あり)等、他巻にも中津藩に転封した小笠原家に関する史料が収載されています。
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東京大学史料編纂所データベース 横断検索 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
ウェブサイトの最終アクセスは2021年2月25日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『千姫考』(橋本政次/著 神戸市分総合出版センター)付録「中務大輔忠刻公播州姫路拾万石侍御分限帳」
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000294508