レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月05日
- 登録日時
- 2021/01/28 15:55
- 更新日時
- 2021/03/03 17:10
- 管理番号
- 相-200006
- 質問
-
未解決
1.郷筒の読み方について
2.郷筒とは何の目的で作られたものか
3.郷筒は四国・九州だけにある独特のものだったのか。
- 回答
-
1.「郷筒」の読み方について
読み方の載っている資料を見つけることはできませんでした。
2.「郷筒」の作られた目的
・『幕末の農兵』樋口雄彦著 現代書館 2017
「第三章 農兵に類似した存在」p.146に「幕末以前、近世の前期からも農民に鉄砲を持たせる政策があった。それは害獣駆除などに目的を限り猟師らに鉄砲所持を許し、万が一の緊急時には藩が臨時の足軽、すなわち補助的な武装要員として動員するという仕組みを兼ねたものだった」との記述があり、「沼津藩の郷筒(郷組)」が例の一つとして挙げられています。さらに、「年季で雇用された足軽・中間・小者といった武家奉公人と同じく、階層的にも幕末の農兵とは一線を画すべきものである」との記載もあります。
・『函南町誌 上巻』函南町誌編集委員会編 函南町 1974
「第二章 函南町の歴史」中「沼津藩の郷組制度」のp.227に「「郷組」というのは支配下の村々から村推薦の者を集め軍事訓練を施して急の時に備えようという軍事組織」、p.228に「郷組は初めは郷筒と呼ばれていたが後になって郷組と呼ばれるように変わったようであり、年貢免状の中にその変化が見られる」「郷組は四十人をもって構成され、その人選は先に述べたように村方の推薦によった。任期は十年間であって郷組に選ばれた者に対しては手当として米が与えられ、猟師筒が預けられ、藩に火急の要件の生じた場合農兵として、また足軽不足の時には足軽として勤める義務を負った」とあります。
・『門司郷土叢書 第二巻』吉永禺山、中山主膳編 国書刊行会 1981
p.15~38「郷筒」の「叙言」に、「郷筒とは、藩政時代、郷村民間に於て筒乃ち銃器を所持し、その技をみがき、田畑の稼苗(作物)等を害する鳥獣をかり又山野に狩猟をなすものの称であった」との記載があります。
・『豊前叢書 副輯 第13号』藤真沙夫編 豊前叢書刊行会 1967
p.124~125「小笠原家準郷士長崎御手当郷筒の由来」に「安政年間に至り、藩は初めて長崎に外国船屢々入港するに当りて、長崎警固の人数を定むる事となり、城下近郷企救郡内に於て銃猟熟練の郷筒猟師を、長崎手当郷筒の名儀の下募集して、身分は足軽に同じ、武器は大坂陣の頃より伝来の銃器大小陣笠等を附与し、出張の外平日は扶持せず。取扱いは足軽に異る所無し」等の記述があります。
3.「郷筒」とは一定の地域のみにあったものなのかについて
九州、四国以外の地域に関連するものとして、下記資料に「郷筒」についての記載がありました。
・『国史大辞典 第4巻 き-く』国史大辞典編集委員会著 吉川弘文館 1983<210.03/46/4 貸出不可>(10333292)
p.973「くろばねはん 黒羽藩」(「下野国(栃木県)黒羽を藩庁とした藩」)の項にある「幕末諸隊」に、「文久三年(一八六三)の兵制改革に始まり、翌元治元年(一八六四)に数百人の猟師を郷筒組に組織した」との記載があります。
・『新修茨木市史 第二巻 通史Ⅱ』茨木市史編さん委員会編 茨木市 2016<216.3/207A/2>(22888010)
「第二章 地域社会の発展」中、p.677~679に「古河藩の農兵と高槻藩の郷筒編成」があり、p.678~679に「高槻藩領には苗字帯刀を許された郷士・郷侍がいたが、幕末期には外国船の来航を受け、郷筒頭を中心に五〇〇挺の郷筒組に編成されていた」等の記述があります。
このほか、「2」にて記載した資料等から、「郷筒」という名称は、四国、九州だけでなく現在の大阪、静岡や栃木などの地域でも見られるようです。
また、『日本史用語大事典 Ⅰ 用語編』日本史用語大辞典編集委員会編 柏書房 1978<210.03/42/1 貸出不可>(10333219)のp.261に「ごうでっぽう 郷鉄砲」が立項されており、「徳島藩の郷士の一種。在郷して平常は農耕に従っていたが、事あるときには徴兵された。無禄・無格で、夫役は免ぜられ多くは無高だった。国境や山岳地帯などに居住し、治安維持の任にも当った」との記述があります。各資料の「郷筒」の記述内容とも類似することから、同様の役割をもちながら「郷筒」以外の名称で呼ばれていた地域もあるようです。
- 回答プロセス
-
レファレンス協同データベース事業サポーター様より以下の追加情報をいただきました。
1.「郷筒」の読み方について
ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」 西日本シティ銀行
No.19 小倉藩 十五万石 『豪商と大庄屋の日記』
豪商 『中原嘉左右日記』
大庄屋 『中村平左衛門日記』『小森承之助日記』
対談:平成27[2015]年8月1日
元・北九州市立自然史・歴史博物館 参事 永尾 正剛 氏
https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/019/
①「三日記」と小倉藩のフレーム
大事件の「小倉戦争」
「猟師(りょうし)を集めて郷筒隊(ごうづつたい)(火縄銃の鉄砲隊)をつくり藩に従っています。」
「小倉戦争」
北の会津藩と並び称される南の譜代藩小倉藩の大義
「火縄銃は、稲穂に群れる雀追いと、猪などの害獣退治に藩が認可を与えているもので、
猟師などで「郷筒隊(ごうづつたい)」(火縄銃の鉄砲隊)を組織し、その編成を、役料を与えている
大庄屋や庄屋に押し付けた。到底(とうてい)、長州の洋式銃に対抗できるものではなかった。」
- 事前調査事項
-
・『久万町誌』(インターネットで郷筒と入力すると「えひめの記憶久万町誌」が出て説明あり)から、地方代官の護衛と武器取締。
・『伊予市誌』から、藩の兵力を補う農兵組織。
・『御代の光』(大分県竹田市、知恩院末寺浄土宗成等山正堂寺に保存されている墨書の冊子。著者 柏木司馬次郎正勝、岡藩主の中川家のうち太祖清秀、第1代藩主秀政、第2代藩主秀成の3代記)から、合戦予備軍としての農兵集団。
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
-
- 郷筒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293086