レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月06日
- 登録日時
- 2021/01/27 10:21
- 更新日時
- 2021/01/27 10:27
- 管理番号
- 京歴-536
- 質問
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明治30年代に新京極(京都市中京区)にあった劇場(演芸場)の名称を確認したい。
その劇場は「東向座」「東向演芸場」「東向演劇場」のように、資料によって異なる名称が使われている。
- 回答
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「東向座」の名称は以下①~⑥のとおり、「東向座」「東向劇場」「東向き演劇」「演劇(東向)」「東向きの芝居」等、資料によって異なっている。
『京都大事典』(①)p.96「映画館」の項の中では、「東向座」とある。
『京極沿革史』(②)には「東向劇場」とあった。
『新京極:1-67』(③)(『夕刊京都』で連載(昭和47年4月10日-8月3日)のものを当館においてスクラップしたもの)の第12回連載記事(昭和47年4月22日)では「東向き演劇」とある。後の大黒座=京極座であることも書かれている。
※第12回記事では、大黒座=京都座と表記されているが、第14回記事(昭和47年4月25日)の中で京都座ではなく京極座であるとの訂正あり。
『新京極』(④)p.31の地図に「演劇(東向)」とあり。
p.45に「東向座」とあり。後に大黒座となったことが書かれている。
p.47「新京極各館の変遷」中の「旧・コマ劇場」の項で、明治7年以前から東向劇場があり、明治18年に大黒座、同26年に旭座、27年富栄座、28年京極座、32年に再び大黒座と改称されたという記述がある。
『近代歌舞伎年表 京都篇 別巻』付録『京都市劇場史略図』(⑤)の「新京極周辺」の地図には、「東向の芝居」と表記されている。地図にはこの劇場の名称の変遷も記載あり。
京の記憶アーカイブ「京の百年」(⑥)でキーワード「東向」で検索すると、明治12年から明治18年の記事では、東向芝居、東向の劇場、大黒座(元東向芝居)と表記され、明治30年の記事では、京極座(旧名東向、大黒座・富栄座)と表記されている。
- 回答プロセス
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質問者はすでに色々と資料は確認済みとのこと。
当館の蔵書検索システムでキーワード「新京極」または「京極」で検索して出てくる資料『京極沿革史』(②)、『新京極:1-67』(③)、『新京極』(④)を確認した。
以前、歌舞伎の劇場についての調査で、『近代歌舞伎年表 京都篇 別巻』付録『京都市劇場史略図』(⑤)を利用したことを思い出し、内容を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歌舞伎 (774)
- 参考資料
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- ①『京都大事典』佐和隆研[ほか]編集 淡交社 1984 (当館請求記号:K0||291.62||Ky6||)
- ②『京極沿革史:創始六十周年紀念』田中弁之助著 京報社 1932 (当館請求記号:ヨ||992||63||)
- ※『京極沿革史』は『新撰京都叢書 第1巻』にも収められている。 (当館請求記号K0||291.62||Sh69||1)
- ③『新京極:1-67』夕刊京都新聞社編 夕刊京都新聞社 1972 (当館請求記号:K13||216.2||Y97||)
- ④『新京極』新京極ジュニアクラブ二十周年記念誌編集委員編 新京極連合会 1972 (当館請求記号:K13||216.206||Sh58||)
- ⑤『近代歌舞伎年表,京都篇 別巻』付録「京都市劇場史略図」 国立劇場近代歌舞伎年表編纂室編 八木書店 2005 (当館請求記号:K1||774.26||Ki42||11)
- キーワード
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- 東向座
- 東向演芸場
- 東向演劇場
- 東向き演劇
- 東向きの芝居
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292978