レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年01月11日
- 登録日時
- 2021/01/11 13:29
- 更新日時
- 2021/09/28 12:59
- 管理番号
- 中央-郷-2021-0001
- 質問
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解決
参勤交代の広島から江戸までの所要日数について教えて欲しい。
- 回答
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資料①~⑤により、20日~約1か月の所要日数の記載が見つかりました。
- 回答プロセス
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1.自館書架を確認したところ、以下の資料が見つかりました。
①『藩史大事典 第6巻 中国・四国編』 木村 礎/編,藤野 保/編,村上 直/編 雄山閣 2015年
p.315「参勤交代」交通路の項目に、以下の記載がありました。
広島から大阪までは海路舟を用い、大阪~江戸間は東海道の陸路を用いる場合が多い。およそ二十日間前後を要した。
②『ひろしまの地域学習読本 上巻』広島大学附属東雲小学校/〔編〕〔広島大学附属東雲小学校〕1982年
p.123~140「参勤交代と広島藩」に、広島藩第8代藩主浅野斉賢公の参勤交代(広島~江戸)の宿泊数が26泊あったと記載がありました。
③『広島県大百科事典 上巻』 中国新聞社広島県大百科事典刊行委員会事務局/編 中国新聞社 1982年
p.606「参勤交代」に、以下の記載がありました。
1711年(正徳元)大阪から陸路帰国したのが西国街道通行のはじめで、以後しだいに陸路をとるようになった。また大阪からは、当初東海道を利用していたが、のちには中山道も通るようになり、その行程には約1カ月を要した。
④『新修広島市史 第2巻』 広島市/編 広島市役所 1958年
p.257に以下の記載がありました。
道中は広島から大阪までは船を用い、大阪―江戸間は東海道の陸路を用いるのが例で、およそ二〇日前後を要していた。
2.インターネットで「参勤交代」をキーワードで検索したところ、以下のサイトが見つかりました。
⑤ウィキペディア HP
「日数と費用」の項目に、各地方の主な藩の江戸までのおおよその道程・日数の記載がありました。
広島藩の記載はありませんでしたが、山陰地方(鳥取藩22日)や四国地方(宇和島藩30日)の日数と比較して20~30日内ではないかと推測できます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%8B%A4%E4%BA%A4%E4%BB%A3
(2021/1/6最終確認)
以下の資料では確認できませんでした。
・『広島県史 通史編 3 近世 1』 広島県/〔編〕 広島県 1981年
・『広島県史 通史編 4 近世 2』 広島県/〔編〕 広島県 1984年
・『新修広島市史 第1巻』 広島市/編 広島市役所 1961年
・『新修広島市史 第4巻』 広島市/編 広島市役所 1958年
・『参勤交代と大名行列』永井 博/編著 洋泉社 2012年
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217)
- 参考資料
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木村礎, 藤野保, 村上直 編 , 木村, 礎, 1924-2004 , 藤野, 保, 1927-2018 , 村上, 直, 1925-2014. 藩史大事典 第6巻 (中国・四国編) 新装版. 雄山閣, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026999853-00 , ISBN 9784639023906 -
広島大学附属東雲小学校 〔編〕 , 広島大学附属東雲小学校. ひろしまの地域学習読本 上巻. 〔広島大学附属東雲小学校〕, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082509946-00 -
中国新聞社/編集 , 中国新聞社. 広島県大百科事典 上巻. 中国新聞社, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005713811-00 -
広島市/編 , 広島市. 新修広島市史 第2巻. 広島市役所, 1958.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021141347-00
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木村礎, 藤野保, 村上直 編 , 木村, 礎, 1924-2004 , 藤野, 保, 1927-2018 , 村上, 直, 1925-2014. 藩史大事典 第6巻 (中国・四国編) 新装版. 雄山閣, 2015.
- キーワード
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- 参勤交代
- 広島藩
- 浅野藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292182