このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
大阪府立中之島図書館 (2120002)管理番号
(Control number)
6001046671
事例作成日
(Creation date)
2020/12/07登録日時
(Registration date)
2020年12月29日 00時30分更新日時
(Last update)
2020年12月29日 00時30分
質問
(Question)
大阪博物場「衆楽館」について記載のある文献はあるか。
回答
(Answer)
「衆楽館」については、次の資料に記載がある。

■後々田寿徳著「大阪博物場-「楽園」の盛衰 」『東北芸術工科大学紀要 16』(東北芸術工科大学 2009.3)p.26(101)-50(77)
「「衆楽館」とは名称や位置からみて「府立大阪博物場案内図(図版1)」の「大広間」にあたるのではないか。」とある(p.38(89))。
※「府立大阪博物場案内図(図版1)」はp.46(81)に掲載されており、『東区史 第2巻 行政篇』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会/編纂 大阪市東区役所 1940)p.1048-1049の間の図と同じもの。

なお、この資料はインターネットでも本文の閲覧が可能。
「東北芸術工科大学リポジトリ」(2020年12月7日確認)
http://id.nii.ac.jp/1353/00000465/

■『続東区史 第3巻』(大阪市東区史刊行委員会/編集 大阪市東区史刊行委員会 1981)
p.424に『初舞台七十年』(大西信久/[述] 大西松諷社 1979)の引用がある。
「構内の北寄りに、御殿風建築の衆楽館というのがあって、百畳敷程の大広間がありました。この広間を見所にして庭を隔てて南面の舞台が別棟で建ててあったのです。この庭にも床几を並べて見所にしました。この舞台も、たしか昭和八年だったと記憶していますが天満宮境内に移築されました。」

また、次の資料には、「集楽館」という建物について記載があった。

■『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇』(大阪市役所/編纂 清文堂出版 1966)
「大正二年末に至り、同場[図書館注:博物場]従来の建物は撤廃せられ、(中略)かくて旧博物場は解滅し、その附属建物としての能楽堂(十五年十二月天満天神内に移設せらる)・集楽館・茶室等が、僅に残存して、昔の俤を偲ばせてゐるに過ぎない」(p.673)

■『大阪経済人と文化』(宮本又次/著 実教出版 1983)
「第三章 大阪の能舞台と経済人 Ⅴ[ローマ数字の5] 中之島翠柳館の舞台と博物場の舞台」(p.66-68)に次の記述がある。
「博物場内の北寄りに御殿風の建築集楽館があり、そこに百畳敷くらいの大広間があり、この広間を見所として庭をへだてて南向きの舞台が別棟で建てられていた。この庭にも床几をならべて見所にしていた」(p.68)

[事例作成日:2020年12月7日]
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
博物館  (069 10版)
参考資料
(Reference materials)
東北芸術工科大学紀要 東北芸術工科大学 東北芸術工科大学 1993.11-2015.3 16
東区史 続 第3巻 大阪市東区史刊行委員会∥編集 大阪市東区史刊行委員会 1981 (424)
明治大正大阪市史 第1巻 大阪市役所∥編纂 清文堂出版 1966 (673)
大阪経済人と文化 宮本/又次∥著 実教出版 1983.6 (68)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
大阪
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000291785解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!