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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
大阪府立中央図書館 (2120005)管理番号
(Control number)
6001046989
事例作成日
(Creation date)
2020/10/21登録日時
(Registration date)
2020年12月12日 00時30分更新日時
(Last update)
2020年12月12日 00時30分
質問
(Question)
方広寺鐘銘事件が大坂の陣の一因となったと言われているが、この方広寺大仏殿の再建に豊臣方が費やした資金について書かれている資料を紹介してほしい。
回答
(Answer)
以下の資料に費やした費用についての記述がありました。
・『日本文化史論考』(西田直二郎/著 吉川弘文館 1963.12)
p.373-386に「大阪役前豊臣氏財政の史料」と題する論文が収録されています。秀吉・家康の下で大判鋳造直に携わった京都の後藤家古文書記録を基に論考されています。方広寺のみの費用ではありませんが、慶長13年から17年の間に豊臣氏が分銅吹き分けした量について論じています。この期間に方広寺再建が行われており、大判金代銀高低や吹き分け量などについて表やグラフを用いて論じています。

・『黄金と落城:戦国の軍資金』(松好貞夫/著 新人物往来社 1970.12)
p.165-174に方広寺再建の費用について論考がなされています。『大仏殿出来入目』『武徳編年集成』『当代記』などの史料を基に再建費について分析がなされています。

・『難波大阪 歴史と文化』(宮本又次/編 講談社 1975.11)
p.195-196に「大坂城中にあった二千枚分銅一五個、千枚分銅一三個を、大仏大判に鋳直して費用にあてた。2千枚分銅・千枚分銅は、それぞれ大判二千枚分、千枚分にあたる金塊であり、前者は一個約八九貫(約三三四キログラム)、後者は一個約四三貫(約一六二キログラム)あったから、七トンあまりの金塊がこの工事に使用されたことになる。」と書かれています。

・『日本合戦全集5 天下平定編』(桑田忠親/著 秋田書店 1973.6)
p.219に「方広寺造営に要した金塊は一七七五貫余にのぼったといわれ、現在(1973年)の時価にして約四十四憶円という巨額にのぼったのである。この工事のため、軍事用の非常の際の金塊にまで手をつけて、改鋳して使用したほどで、さすがの大坂方の蓄えも、方広寺造営のために、かなりとぼしくなったにちがいない。」と書かれています。

・『太閤の城』(安部竜太郎/著 PHP研究所 1994.12)
p.269に、方広寺再建に使った費用は莫大なもので「一説には千枚分銅十三、二千枚分銅十五と言われている。千枚分銅とは大判千枚作れる金塊のことで、重さは四十三貫だったという。一貫は三・七五キログラムだから、千枚分銅ひとつで百六十一キロ。全体では七トンちかくもの金が使われたということになる。」と書かれています。

・『豊臣秀頼』(籔景三/著 新人物往来社 1987.8)
p.131に「秀吉が秀頼のための軍用金として大坂城に残していた金塊は千枚分銅、二千枚分銅の大金塊になっていた。千枚分銅の重量は四十三貫(百六十一キログラム)といわれ、それを判金に鋳直すと一千枚になるという。いわゆる「千枚吹きの銅」と称されるものである。この分銅が方広寺大仏殿のために鋳直されて「大仏大判」とよばれるのだが、以後、この工事のために千枚分銅が十三個、二千枚分銅十五個ほどが、いかにも湯水を流すように消えていった。その重量は「約千七百七十五貫、六千六百五十六キログラム」(高野澄『カネに敗れた黄金の政権』)といわれる。これを現在の円価格で計算するのはやさしいが、金相場の変動がはげしいので意味のない話だろう。」と書かれています。

・『京都の歴史4 桃山の開花』(京都市/編 京都市史編さん所 1979.6)
p.602-609に「方広寺の大仏再建」と題する文章が収録されています。その中のp.604-605に費用に関する記述があり、「太閤が貯えた千枚分銅や二千枚分銅が、改鋳されてつぎつぎと消えていった。これらは鋳直すと千枚・二千枚の大判金がとれる大金塊で、一つの重さが千枚分銅で四十三貫、二千枚分銅で八十九貫余りといわれる。この大切な軍用金が、大仏再建工事だけで、千枚分銅で十三個、二千枚分銅で十五個、重量にしておよそ千七百七十五貫の黄金がいわゆる「大仏大判」に鋳直されて、大坂城中から消えたのである。」と書かれています。

・『司馬遼太郎全集28 城塞1』(司馬遼太郎/[著] 文芸春秋 1973.12)
『城砦』という作品が収録されています。p.160に費用についての記述があり、「鋳造のほうは存外早くできて、慶長十七年には金で鍍金(めっき)した燦然(さんぜん)たる六丈の巨像が鋳(い)あがった。つぎはその容れものである。高さ十二丈の大仏殿、塔、仁王門その他四方の門を造営するのが、これは大事業であった。豊臣家がこの建築のためについやした金は、黄金千四百枚、銀が二万三千貫、米二十三万石というとほうもないものであった。」と書かれています。

[事例作成日:2020年10月25日]
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
寺院.僧職  (185 10版)
近畿地方  (216 10版)
参考資料
(Reference materials)
日本文化史論考 西田/直二郎∥著 吉川弘文館 1963 (373-386)
黄金と落城 松好/貞夫∥著 新人物往来社 1970 (165-174)
難波大阪 歴史と文化 宮本/又次∥編 講談社 1975 (195-196)
日本合戦全集 5 桑田/忠親∥著 秋田書店 1973 (219)
太閤の城 安部/竜太郎∥著 PHP研究所 1994.12 (269)
豊臣秀頼 籔/景三∥著 新人物往来社 1987.8 (131)
京都の歴史 4 京都市∥編 京都市史編さん所 1979.6 (604-605)
司馬遼太郎全集 28 司馬/遼太郎∥[著] 文芸春秋 1973.12 (160)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
その他
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000290593解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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