レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/10/2
- 登録日時
- 2020/11/26 00:30
- 更新日時
- 2020/11/26 00:30
- 管理番号
- 滋2020-0007
- 質問
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解決
籠手田安貞は、明治11年滋賀県知事の時に大津市御幸山に「西南役記念碑」を建立し、さらに島根県知事だった明治21年に「西南役記念碑」を松江城山に建立して、各々の地で慰霊祭を行っている。「西南役記念碑」の建立のいきさつと籠手田安貞との関係性について知りたい。
- 回答
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1.滋賀県の西南役記念碑
『軍都・大津』 [正]には、西南戦争で大津市に置かれた「第九連隊諸隊は初めての実戦を行い多くの死傷者を出した。(略)第九連隊は四四一名と第二位であり(略)、西南戦争の終結後、第九連隊の戦死者をまつる記念碑が、三井寺観音堂裏手の御幸山に建立」したと、書かれています。籠手田安定に関する資料『県令籠手田安定』にも同様の記述があります。
また、『滋賀県文化財保護協会]紀要 2014.3(通巻27号)収録の「滋賀県における近現代戦争記念碑」には、『大坂日報』明治11年7月18日付の新聞記事「大津分営の諸将校以下有志の人醵金にして、三井寺山上字天神山に客歳西南の役に戦没せし軍人の魂霊を祭らんがため壮大なる記念を建築せん」、さらに同新聞9月10日付の「今度当鎮台伏見営所在勤人々及び滋賀県官等有志の輩醵金して、昨年西南の役に戦没したる軍人の忠魂を慰めんが為め、三井寺山上に一大記念碑を設けられたり。其題字は(記念碑の三字を大書せるもの)三好少将の筆跡を彫刻せしものにて、碑陰には籠手田滋賀県令山口陸軍少佐の撰まれし詩文を勒せられたり。」を取り上げており、西南役記念碑の建立に籠手田も関わっていたことがわかります。
2.島根県の西南役記念碑
『県令籠手田安定』には、松山城に建立した西南役記念碑について次のように書いています。「[籠手田]安定は城の保存を根気よく人々に説きつづけて止まなかった。そして安定の主唱によって、西南の役に戦死した人たちの記念碑が亀田城址に建てられようとしていた。(途中略)その時[明治二十年十一月十一日]安定は、さらにその付帯事業として城山の公園化をせつせつと訴えている。「牧民偉績」にあるその時の安定の演説文によると、(途中略)今こゝに忠魂碑を建てるに当たって「其地ニ桜、桃、李、梅等、ソノ他四時ノ草花ヲ移植シ、彼ノ天然ノ勝地ニ一層ノ粧飾ヲ加ヘ、春夏秋冬ヲ択バス、老幼袖ヲ列ネテ散策ヲ試ミ、身心共ニ壮快ヲ覚ヘシメ、其効果ハ延テ事業ノ活溌ヲ呈スニ至ルベキ遊園トシ、朝ニ紀念ノ碑ヲ望ミテ国家ニ尽スノ思念ヲ振興セシメ、夕ニ塁壕ノ依然タルヲ見テ旧恩ヲ忘レザラシメ、又、一ハ松江市街ノ体裁ヲ補ヒ一ハ旧城保存ノ旨意ヲ達セバ、諸君今日ノ現況ト比シ如何ナル感覚ヲ牽起セラル、ヤ。(途中略)」と述べているのである。そこには今記念碑を建てることすらも、城を公園化することの第一歩とさえ考えられるのである。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北海道地方 (211 8版)
- 参考資料
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- 1 史料県令籠手田安定 1 鉅鹿敏子∥編 鉅鹿敏子 1985年 S-3100-1
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2 県令籠手田安定 鉅鹿敏子∥編 鉅鹿敏子 1976年 S-3100- 76 p.88、p.198-199 -
3 軍都・大津 [正] 中島峰夫∥著 中島峰夫 2000年 5-2711-1 p.4-6 -
4 [滋賀県文化財保護協会]紀要 通巻27号 滋賀県文化財保護協会 P 第27号 p.97-112(引用頁p.109) -
5 大津市史 中巻 大津市役所∥編 大津市役所 1942年 S-2111-2 p.322-323 -
6 大津名勝案内 中村紅雨∥著 古川伊助 1915年 S-2911- 15
- キーワード
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- 籠手田安貞
- 西南役記念碑
- 島根県記念碑
- 西南戦争記念碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000289809