レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月15日
- 登録日時
- 2020/10/15 16:00
- 更新日時
- 2021/03/04 12:31
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2020-008
- 質問
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解決
名古屋市の区の順番が千種区からはじまるのはなぜですか?
- 回答
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名古屋市の区の順番が千種区からはじまるようになったのは昭和12年10月1日からです。このとき、それまでの4区制(東区・西区・中区・南区)に6区(千種区・中村区・昭和区・熱田区・中川区・港区)を増区して10区制となり、当時の地理上の位置により市域の(北)東から西へ、(折り返して南に下がって)西から東へ、再び東から西へ、西から東(南)へとジグザクの順番になりました。
昭和12年の増区の経緯についてまとめた『増区の顛末』(名古屋市 1938年)p.12(コマ番号13)の註には、「区の順序は増区後事務の処理便宜の為め、一定にして置いた方が宜いと云ふ見地から、区の地理上の位置に依り東から西へ、西から東への順序に定められたものによるのである」と書かれています。
さらに昭和19年2月11日に北区・栄区・瑞穂区が増区されていますが、このときも当時の地理上の位置によりジグザクに順番が定められています。
その後、昭和20年11月3日に栄区を中区に併合、昭和38年2月15日に守山市を市域に編入して守山区を設置、昭和38年2月15日に鳴海町を市域に編入して緑区を設置、昭和50年2月1日に千種区から名東区、昭和区から天白区を分区し、現在の16区制(千種区、東区、北区、西区、中村区、中区、昭和区、瑞穂区、熱田区、中川区、港区、南区、守山区、緑区、名東区、天白区)となりました。
栄区の中区への併合後は地理上の位置によるのではなく戦前の区の順番に順次付け加えていく形になっていますが、その理由について記した資料は見つかりませんでした。
なお、『なごやの町名』(名古屋市計画局 1992年)p.878-884に「行政区変遷図」があり、4区制(明治41年)・4区制(大正10年隣接16ヶ町村の編入時)・10区制(昭和12年)・13区制(昭和19年)・12区制(昭和30年隣接6ヶ町村の編入時)・14区制(昭和38年)・16区制(昭和50年)の区の地理上の位置関係を確認することができます。
- 回答プロセス
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(1)まず、名古屋の地名などを調べる定番の参考図書『なごやの町名』(名古屋市計画局 1992年)を確認しました。第一章第七節「市域の拡大」に名古屋市の区制についても記載があり、10区制となった昭和12年10月1日に千種区ができたとわかりました。区の順番については書かれていませんでしたが、増区された6区の一番はじめに千種区が挙げられていることから、10区制になったときに区の順番が千種区からはじまるようになったと推測できました。
(2)10区制となった昭和12年頃の名古屋市役所の出版物に区の順番について書いたものがあるのではないかと考え、キーワード「名古屋市」・出版年「1937~1938」の条件で蔵書検索しました。検索結果一覧の書名から『増区の顛末』(名古屋市 1938年)にあたりをつけて中身を確認し、区の順番についても書かれていることがわかりました。
(3)区の並び順を簡易に確認するため、『名古屋市統計書』・『名古屋市統計年鑑』の表での並び順を確認しました。
(4)後日、『名古屋市公報』を確認したところ、次のとおり記載がありました。
・名古屋市公報号外 昭和12年9月17日 名古屋市告示第551号
「本市ハ別紙調書ノ通東区、西区、中区、南区ノ区域ヲ変更シ、千種区、中村区、昭和区、熱田区、中川区、港区ノ六区ヲ増区シ昭和十二年十月一日ヨリ之ヲ施行ス」とあり、別紙調書の表は千種区、東区、西区、中村区、中区、昭和区、熱田区、中川区、港区、南区の順番で書かれています。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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名古屋市. 増区の顛末. 名古屋市, 1938.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000609422-00 -
名古屋市. なごやの町名. 名古屋市計画局, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002219807-00
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名古屋市. 増区の顛末. 名古屋市, 1938.
- キーワード
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- 地名-名古屋市
- 建制順
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000288298