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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
広島県立図書館 (2110011)管理番号
(Control number)
広県図2020028
事例作成日
(Creation date)
2020年05月15日登録日時
(Registration date)
2020年07月03日 17時56分更新日時
(Last update)
2020年08月26日 17時23分
質問
(Question)
「三次女子商業学校」についての情報を探している。この名称の学校がいつ存在したのか,正式名称,所在地,沿革について分かる資料はないか。
原爆投下後,十日市駅から「三次女子商業学校」の講堂に担架で被爆者が運び込まれたという手記があり,この学校について詳しく知りたく調べている。
もし存在しないのであれば,昭和20年に三次で商業科のあった女学校で,当時の芸備線十日市駅から近い学校はないか。
回答
(Answer)
 「三次女子商業学校」に関する資料は見付かりませんでした。また,昭和20年に,三次で商業科のあった女学校に関する資料も見付かりませんでした。
 今回の調査で確認した資料は次のとおりです。

 『三次市史 3 近代現代通史 近代現代資料 三次市史年表 その他』三次市史編集委員会/編集,三次市,2003【H21.81/ミヨシ103/3ア】
  p.1-320 近代通史編
   p.40-58 県北の中枢都市へ
    p.49-58 商業都市三次
     教育,学校に関する記述はありません。
   p.222-240 教育・文化・観光
    p.228-230 三次高女と双三実業
     p.228-229 三次高女
      「三次女子商業学校」に関する記述はありません。記載されている女学校は,三次高等女学校,淑女学院(戦前に閉校),私学日彰館女子部,郡立技芸女学校(「その後、校名は制度の改変ごとに双三郡立技芸高等女学校(略)、双三郡高等女学校(略)と変わった」)です。
   p.264-320 一五年戦争と三次
    p.312-320 空襲・原爆と三次地方
     p.314 表1-71 三次市の救護所と収容者
      救護所の項目に記載されている学校は,次のとおりです。
三次国民学校(三次小),三次高等女学校,三次女子技芸専門学校,十日市国民学校,県立三次中学校(三次高校)

 『<ものがたり>三次の歴史』三次地方史研究会/編,菁文社,1998【H21.81/ミヨシ98ア】
  p.143-202 近現代篇
   p.187-189 被爆と敗戦 ―全町が臨時病院に―
    p.188 「備後十日市駅(現三次駅)で降ろされた被災者は、町内の国民学校、三次女専、中学校(現三次高校)などの校舎に収容され、(略)」
    p.189 芸備線沿線に収容された被爆者
     前出の『三次市史 3』p.314に記載されている表の出典です。
      「主な到着駅」の「三次駅(現西三次駅) 備後十日市駅(現三次駅)」の「収容場所」に記載されている学校名は,次のとおりです。
      三次中学(現三次高校)(広島第2陸軍病院三次分院),十日市国民学校,三次女子技芸専門学校(現中央幼稚園),三次高等女学校,三次国民学校

 『三次の歴史』三次地方史研究会/編,菁文社,1985【H21.81/ミヨシ85ア】
  p.263-348 近・現代篇
   p.320-338 戦争と平和と
    p.333-337 原爆と敗戦
     p.334に「以下『鎮魂』-原爆投下直後の三次における救援活動(略)により、当時の三次の状況を報告します。」とあり,p.337まで被爆当時の状況が掲載されていますが,「三次女子商業学校」の記載はありません。

 『鎮魂:原爆投下直後の三次における救援活動』三次高等学校史学部/編,1977【H99/Mi912ア】
  前出の『三次の歴史』p.334-337で記述が抜粋されている資料です。
   p.4-13 被爆者三次へ到着
    三次女子技芸専門学校(現十日市町中央幼稚園)に関する記述はありますが,「三次女子商業学校」はありません。

 『広島原爆戦災誌 第4巻』広島市役所/編集,広島市役所,1971【H26.1/H73/4ア】
  p.682-887 関連市町村の状況
   p.710-716 三次市
    p.715に三次高等女学校(現・十日市中学校)に関する記述はありますが,「三次女子商業学校」はありません。

 『巴峡百年 上』広島県立三次高等学校創立百周年記念誌編集委員会/編,広島県立三次高等学校同窓会「巴峡百年」刊行会,2001(「巴峡六十年」(昭和35年刊)の復刻)【H375.81/ミヨシ101/1ア】
  p.297-334 三女昭和期
   p.324-326に掲載されている当時の学生の手記中に「八月六日原爆が投下された。続々と患者が十日市に避難して来た。私達は動員に参加しつつ、看病した。」との記述があります。

 また,中国新聞に次の記事が掲載されていました。
 『中国新聞』平成27年8月5日朝刊(県北版)
   p.30 「たどる戦争の記憶 中 被爆者救護」
     「旧制三次中(現三次高、三次市)や向原国民学校(現向原小、安芸高田市)、庄原国民学校(現庄原小、庄原市)をはじめ沿線の学校や寺、旅館などが救護所となった。」
     「駅から500メートルほどの十日市国民学校では約300人を収容。」

 なお,戦前の学事関係職員録を確認したところ,当時三次(双三郡)にあった実業学校については,次のとおりです。
 『広島県学事関係職員録 昭和18年4月30日現在』広島県教育会/編,1943【H37/H7322/18】
  p.47-59 官公立実業学校
   p.58-59「広島県立双三実業学校 双三郡田幸村」
    男女共学の学校です。
  p.59-62 私立実業学校
   双三郡の学校は掲載されていません。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
原爆投下後,十日市駅から「三次女子商業学校」の講堂に担架で被爆者が運び込まれたという手記があり,この学校について詳しく知りたく調べている。
もし存在しないのであれば,昭和20年に三次で商業科のあった女学校で,当時の芸備線十日市駅から近い学校はないか。
NDC
大学.高等.専門教育.学術行政  (377 9版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
三次女子商業学校
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000284234解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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