レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/3/20
- 登録日時
- 2020/03/27 00:30
- 更新日時
- 2020/07/03 18:39
- 管理番号
- 鹿県図-190033
- 質問
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未解決
1637年,フィリピンから日本へ密入国し,沖縄でつかまった後,鹿児島で収容されていたクールテー(フランス人),オツァラツァ,ビンセンシオはどこに収容されていたのか。
『日本切支丹宗門史 下』p293掲載←所蔵なし(上・中のみ) NDLデジコレにあり
- 回答
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資料1 寛永十三年 沖縄上陸の切支丹について記載あるが,収容先はなし。
資料2 寛永の切支丹禁制 p84 該当の内容について記載あるが,収容先はなし。
資料3 資料1・2と同内容,収容先記載なし。
資料4 p29~32 宗門手札の制度。取締りについては記載あるが,収容所についてなし。
(以下,2020.7.3追記)
資料5 p137-147「一、ギョーム・クールテ-日本に最初に来たフランス人」の項あり。
p144に「クールテ神父たちは、琉球の地に足を踏み入れるやいなや捕らえられて、・・・(中略)・・・クルーテたちはまず薩摩に連行され、・・・」という記述があるが,収容先について記述なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 鹿児島県史 第2巻 鹿児島県/編 鹿児島県 1967. K21/カ39/2 855
- 2 薩藩切支丹史料集成 茂野 幽考/著 南日本出版文化協会 1966 K19/シ66 83-85
- 3 日南切支丹史 茂野/幽考?著 ヴェリタス書院 1951 K19/シ51 138-139
- 4 鹿児島県警察史 第1巻 鹿児島県警察史編さん委員会/編集 鹿児島県警察史編さん委員会 1972 K31/カ72/1
- 5 日本とフランス 富田 仁/著 西堀 昭/著. 三修社, 1979.10. 850.1/ト79
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000279624