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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
豊中市立図書館 (2310050)管理番号
(Control number)
6000051282
事例作成日
(Creation date)
2019/11/28登録日時
(Registration date)
2019年12月22日 00時30分更新日時
(Last update)
2020年01月05日 14時46分
質問
(Question)
熊野田村の戦国時代の領主、熊田氏(小野氏)について知りたい。
回答
(Answer)
下記の資料から次のことがわかる。
小野資廣が1504年に足利義澄の命令で荒れ果てていた八坂神社の社殿を再建。次男の熊田隠岐守小野資利の娘が永禄年間(1558~1569年)に中川清秀へ嫁ぎ、その縁で熊田氏は中川家の家老となる。中川氏は天正13年(1585年)に播磨国三木に転封、その後、豊後国岡藩へ移った。江戸時代の熊野田村は蒔田氏の領地となっている。

・「文化財ニュース №29」(豊中市教育委員会)pp.3-5
 古文書の「熊野田村御仕置之儀申達覚」(『豊中市史 史料編三』)を解説し、熊野田村が江戸時代に旗本の蒔田氏の領地になる以前、現在宝珠寺がある丘に領主(地頭)の城山があり、宝珠寺の前身である観音堂が領主(地頭)の持仏堂だったことが述べられている。続けて、江戸時代中頃に書かれた「豊後岡藩諸士系譜」(『摂津市史 史料編一』)により、「前の地頭」とは豊後国岡藩中川氏の家臣である熊田氏とみてよいだろう、と述べている。

・『調査報告 原田氏と中川氏』(高市光男)pp.3-5,32,63,73,74
 p.3に『中川史料集』(人物往来社)、『中川氏御年譜 年譜・附録・別録』(竹田市)、『中川家文書』(臨川書店)を引用して、中川清秀が熊野田の代官(御家人)熊田隠岐守資利の娘を妻とし、熊田氏を幕下に置き家老としたことが述べられている。
 冊子の後半は資料編になっていていくつかの資料の本文が抜粋されており、前述した内容に加えて宝珠寺が菩提寺だということが分かる。p.32【諸士系譜新古次第 一】(1巻~50巻)の「第五巻」には、「熊田隠岐入道宗白、代々摂州嶋下郡熊野田村を領す。」とある。p.63【熊田氏世譜】には、「熊田隠岐守 後名 宗白 安房守次男」とあり、「清秀」や「娘ニ御縁を組ミ」という記述がみられる。p.73-74の【摂津国豊嶋郡熊野田村古跡見聞書】には「一、宮之上ニ宝珠寺と申浄土宗の古寺御座候」とあり「此寺ハ古之殿様之御菩提寺之由ニ御座候」とある。
 
・『こころのふるさと 豊中八坂神社』(八坂神社千年祭実行委員会)p.56
 「永年にわたり社殿が老朽化していたが、永正丙寅(1504)の9月足利義澄は小野資廣に命じて社殿を再建した。」と書かれている。

・『古里のちから ~東豊台の変遷』(豊中市東豊台公民分館)pp.23-24
 「熊田氏及び中川清秀」と題して、永禄年間(1558~1569)に熊田資利の娘(梢)が中川清秀に嫁いで以降、熊田氏は中川家の家老となったこと、熊田氏は中川清秀の二男(秀成)と共に播磨国三木に転封、その後、豊後国岡藩に移ったことが簡潔に書かれている。中川清秀のことや、娘が嫁いだことがわかる『中川氏御年譜』の一節も掲載している。

・『創立百周年記念誌 熊野田 (資料編)』(豊中市立熊野田小学校,1974)pp.30-31
 宝珠寺について紹介している。「宝珠寺(観音さん)」とある。

・『中川史料集』(新人物往来社)p.10 (市内未所蔵資料)
「一、 永禄中、摂州熊野田の御代官熊田隠岐守資利の女御名稍(ヤヤ)を娶らせ給ふ。既にして隠岐守が嫡子、千助資勝御幕下に属し、日夜昵近して御陣の御供致し、後老職と成る。其余熊田の一族御味方に参る。」と書かれている。

・『中川氏御年賦』(竹田市)p.30 (市内未所蔵資料)
「室 稍 熊野田隠岐守小野資利女 天文十五年丙午生 慶長十七年壬子六月十一日卒于豊後国岡城享年六十七葬于城下西光寺」と書かれている。
回答プロセス
(Answering process)
新・旧の市史を調べたが熊田氏(小野氏)についての記載が見当たらなかった。
回答に使用した資料に熊野田村についての記載があった。内容は下記のとおり。

■「文化財ニュース №29」
「熊野田の城跡と領主」と題して熊野田村のはじまりと江戸時代前後の領主について以下のことが書かれている。
・熊野田村のはじまり:「熊野田村」が初めて現れる古文書は室町時代前期の応永8年(1401年)。しかし、宝珠寺には南北朝時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が2基あるので「もう少し前から村ができていたことがうかがえる」としている。
・熊田氏:「豊後岡藩諸士系譜」(『摂津市史 史料編一』)より、熊田氏の娘が中川清秀と結婚した縁で一族そろって仕えるようになった。中川氏は摂津国嶋下郡中河原村(現在の茨木市)を本拠としていたといわれているが、天正7年(1579年)に伊丹有岡城の荒木村重が滅んだ後、嶋下郡を支配する大名になり、天正13年(1585年)に播磨国三木に転封となり、文禄4年(1595年)に豊後に移され江戸時代を迎える。 
・江戸時代:旗本の蒔田広定が徳川家康から拝領され屋敷をつくって住んだ。江戸時代は蒔田氏の領地だった。
 
中川氏については当館の所蔵資料では『原田氏と中川氏』(高市光男)、中川氏の茨木城については『よみがえる茨木城』(清文堂)がある。

■『こころのふるさと 豊中八坂神社』(八坂神社千年祭実行委員会)
詳しく記述されている。
p.56-61「八坂神社の歴史」
p.62-65「熊野田の地名」、「熊野田の地理」 

■『古里のちから』(豊中市東豊台公民分館)p.23
「春日社若宮神主家の日記「中臣祐春記」の正和2年(1313)6月27日条に、「熊田庄住人切七郎」という人物が熊野田にいたことを記しています。熊野田は春日社領垂水西牧の「牧内」にあたるので、牧内の一部分が熊野田と呼ばれていました。」とある。

■『創立百周年記念誌 熊野田 (資料編)』(豊中市立熊野田小学校)p.32
「江戸時代の熊野田村」がイラストで描かれている。「熊野田村」となっているが西国街道から神崎川・中津川まで市内が幅広く入っている。熊野田と書かれた辺りは山が連なっており、南側に天竺川が流れ、山の上には家が数軒描かれている。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『原田氏と中川氏』 高市 光男/[著] 高市光男
『こころのふるさと 豊中八坂神社』 [豊中八坂神社]千年祭実行委員会広報委員/編集 豊中八坂神社千年祭実行委員会
『熊野田』 豊中市立熊野田小学校
『古里のちから』 サン美術印刷
キーワード
(Keywords)
豊中(トヨナカ)
歴史(レキシ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000271117解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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